「空」は土地それぞれ、季節や時間、天気によって色が変化するが、
結局は限りないひと続きの宇宙である。
哲学などではない。タイトルを変えずにブログを続ける為の単なるこじつけ。空の色はいろいろとすると、アルザスに限らず、日本やこれまで訪れた国のことなども気ままに書いていけるなぁと思ったのだ。
実家の傍に町立の図書館がある。ちょっとした小川の流れる庭もあって、小さな子供連れや、犬の散歩途中のホッと一息出来る場所になっているようだ。小川沿いには手入れの行き届いた薔薇が植えてあり、この季節は色とりどり華やか、風に乗った甘い香りに思わず足を止めたくなる。
薔薇といえば、初めてのロンドン旅行で訪れた、Regent's Park/リージェンツ・パーク内にあるQueen Mary's Rose Garden/クイーン・メアリーズ・ローズガーデンを思い出す。6月の初め、薔薇が満開の季節だった。
今年は英国ウイリアム王子の結婚が大きな話題になったが、ちょうどその年、私達のロンドン滞在中には、日本で徳仁皇太子の結婚式が行われた。婚礼当日が国民の休日となったため、プラス3日の年休と土日を合わせ、6日連休で飛べたロンドンだったのだ。当時の会社では、海外旅行の為の連続年休などまだ一般的ではなかったから、3日の年休の承諾を得るのに、辞表覚悟の意気込みだった。意外にも快く了承され、「世界を見るのは良いことだ。ロンドンか。くれぐれもスリには気をつけるように。」と気難しい上司に言われたときには、狐につままれたような心地だった。
グローバルという言葉が飛び交い、日本はバブル景気の余韻でまだ機嫌が良い頃だった。
会社の別の部署にいた同期と学生時代からの友人と女3人、楽しくて楽しくて興奮しっぱなしの旅だった。リージェンツ・パークの芝生に座ってサンドイッチのランチ。そんなことが夢だった。自由に街をぶらぶらしている自分達に酔いしれた。ロンドンは街の中心のあちらこちらに公園があり緑が豊富だから、どこか雰囲気もあくせくしていなくて、初めてでも馴染みやすい。事前にガイドブックを読みあさり、行きたいリストをそれぞれ出し合って計画を立てたのだが、その中のひとつがQueen Mary's Rose Garden/クイーン・メアリーズ・ローズガーデンだった。
まるでこのガーデンを訪れるために狙って日本から来たかのように最高の見頃で、公園中、花壇も垣根もベンチの上にかかったアーチも薔薇で埋め尽くされていた。イギリスらしい曇り空の下、薔薇の花もヨーロッパの女性のごとく、円熟の美を醸し出しているように思えた。その中で私達はまだまだ薔薇より団子、若く青く、ピカピカしていて元気が良かった。
さて、メアリー女王のバラ園にも負けないバラ園が、アルザスにはないが、ここ粕屋町の駕与丁公園にある。あらゆる種類の薔薇2300株が池を望む高台に集められていて見事だ。細やかな手入れはボランティアの手によるものらしい。立体感のある場所なので、「薔薇に埋もれる」感じが味わえる。住民でありながら知らなかったが、薔薇は粕屋町の町花でもあるらしい。
アルザスはあまりに遠いので簡単に言えなかったが、粕屋町なら日本国内、一度お越しになりませんか?
2011/05/27
2011/05/21
さようならアルザス、またいつの日か
アルザスを離れ、日本に帰国した。
初夏の最も美しい季節だというのに残念だが、欲ばかり言ってはいられない。
もっと早くブログを始めていればよかった、アルザスについてもっともっと色々なことを書きたかったと後悔しても仕方ない。
32時間かけての移動、流石アルザス━福岡は遠い。
だが一方で世界が小さくなっていることにも気付いた。インターネットのお蔭だ。今も私は福岡の実家でアルザスのラジオを聞きながらPCに向かっている。今回の移動にもこのネットが大活躍だった。
これまで海外でフライトチケットを取る場合、各国の日系旅行会社を探して電話で予約をし、出向くか、遠い場合は振込みをして送ってもらうかをしていた。日本行きの場合はそれが一番安い方法でもあった。ところが今回ネットで色々調べてみると、フランスの旅行会社や航空会社のHPから日系旅行会社と同等、もしくはよりお得にチケットがネット購入出来るのだ。振込み、郵送という手間や時間もかからない。PCとクレジットカードとプリンターがあれば、明日のフライトチケットでも購入できるという便利さなのだ。それで今回私は一番お得だったカタール航空、PARIS━関空 ドーハ経由 片道456ユーロを使ってみた。中東の航空会社大丈夫なの?なんて心配することなかれ。カタール航空は10年ほどの新しい会社だが、飛行機はどれも新しく、食事、サービスも申し分なかった。何より乗り継ぎの待ち時間がなく効率的。今目覚しく伸びている航空会社だ。
「乗客はそれほど多くなさそうね。私も2席分ゆっくり出来るから有難いわ」と言うと「なんだフランス語分かるの」とホッとしたように言った。ドーハ経由で私と同じく大阪に行くらしい。
「この状況下、多くの人が日本から去ってるというのに何のために日本に向かうの?」
「でも君もじゃない」
白い歯むき出し茶目っ気たっぷりの笑顔に、私は彼が日本中チェルノブイリだと思ってしまっている一部のフランス人とは違うことを察した。ダンスのオーデションを受けに行くらしい。バレエダンサーには見えない。尋ねるとヒップホップだと答えだ。受かったら日本に住むことになるそうだ。
「親や友達は心配したけどね。放射能は大阪まで来ないから大丈夫だと思うんだ。地震は・・・その時はその時さ」
「関西には弟や友達が住んでるけど、大丈夫よ。あなたの勇気、日本人として嬉しいわ。オーデション受かるといいわね。Bonne chance!/幸運を祈ってるわ」
「Merci./ありがとう」
彼は嬉しそうににっこりすると、空き席を見つけて移動していった。私もゆっくりとリラックス、ミュルーズから3時間半のTGV/フランスの新幹線移動の後でもあり、目を閉じると離陸を待たずして眠りについてしまった。
初夏の最も美しい季節だというのに残念だが、欲ばかり言ってはいられない。
もっと早くブログを始めていればよかった、アルザスについてもっともっと色々なことを書きたかったと後悔しても仕方ない。
32時間かけての移動、流石アルザス━福岡は遠い。
だが一方で世界が小さくなっていることにも気付いた。インターネットのお蔭だ。今も私は福岡の実家でアルザスのラジオを聞きながらPCに向かっている。今回の移動にもこのネットが大活躍だった。
これまで海外でフライトチケットを取る場合、各国の日系旅行会社を探して電話で予約をし、出向くか、遠い場合は振込みをして送ってもらうかをしていた。日本行きの場合はそれが一番安い方法でもあった。ところが今回ネットで色々調べてみると、フランスの旅行会社や航空会社のHPから日系旅行会社と同等、もしくはよりお得にチケットがネット購入出来るのだ。振込み、郵送という手間や時間もかからない。PCとクレジットカードとプリンターがあれば、明日のフライトチケットでも購入できるという便利さなのだ。それで今回私は一番お得だったカタール航空、PARIS━関空 ドーハ経由 片道456ユーロを使ってみた。中東の航空会社大丈夫なの?なんて心配することなかれ。カタール航空は10年ほどの新しい会社だが、飛行機はどれも新しく、食事、サービスも申し分なかった。何より乗り継ぎの待ち時間がなく効率的。今目覚しく伸びている航空会社だ。
「乗客はそれほど多くなさそうね。私も2席分ゆっくり出来るから有難いわ」と言うと「なんだフランス語分かるの」とホッとしたように言った。ドーハ経由で私と同じく大阪に行くらしい。
「この状況下、多くの人が日本から去ってるというのに何のために日本に向かうの?」
「でも君もじゃない」
白い歯むき出し茶目っ気たっぷりの笑顔に、私は彼が日本中チェルノブイリだと思ってしまっている一部のフランス人とは違うことを察した。ダンスのオーデションを受けに行くらしい。バレエダンサーには見えない。尋ねるとヒップホップだと答えだ。受かったら日本に住むことになるそうだ。
「親や友達は心配したけどね。放射能は大阪まで来ないから大丈夫だと思うんだ。地震は・・・その時はその時さ」
「関西には弟や友達が住んでるけど、大丈夫よ。あなたの勇気、日本人として嬉しいわ。オーデション受かるといいわね。Bonne chance!/幸運を祈ってるわ」
「Merci./ありがとう」
彼は嬉しそうににっこりすると、空き席を見つけて移動していった。私もゆっくりとリラックス、ミュルーズから3時間半のTGV/フランスの新幹線移動の後でもあり、目を閉じると離陸を待たずして眠りについてしまった。
2011/05/16
アルザス料理
アルザス料理と言えば、まず最初に出てくるのはChoucroute/シュークルートだろう。ドイツ語でSauerkraut/ザワークラフトといい、ドイツ料理でもある。意味は「すっぱいキャベツ」。乳酸発酵により酸っぱくなったキャベツの塩漬けで、ビタミンCが豊富。酸っぱいが酢は使われていない。 通常レストランでは
La Choucroute Garnie /シュークルート・ガルニと言って、この「すっぱいキャベツ」の上にソーセージやベーコン、ポテトなどが豪快に乗って出て来る。果実味の強いアスザスワインやビールとよく合う。
キャベツを繊切りにし、塩、白ワイン、香辛料と共にかめに入れて漬けるというシンプルな方法だが、ワインや香辛料の違いにより、各家庭やレストラン独特の味になるようだ。と、ここまで書いておきながらだが、私はアルザスに来て長い間、シュークルートを食べたことがなかった。酸っぱさが苦手で、ソーセージやベーコンもシンプルに蒸し焼きしてあるだけ、ソースがかかっているわけでもないし、アルザスにはもっと美味しい料理が沢山ある。
ある日、ムッシュー・シュラフのレストランで日替わりランチを頼んだら、その日はシュークルートだった。初体験にはもってこいのレストラン、運ばれてきた皿を見ていつものことながら吃驚。日替わりランチだからと手抜きはない。山盛りの温かいすっぱいキャベツに白いソーセージ、黒いソーセージ、サラミ、ベーコン、ハムが気前良く盛ってある。こんなに一人では食べれない・・・ところが今度は我が胃に吃驚。キャベツの軟らかい酸味のお蔭で、するすると重い肉の塊が吸い込まれるように入っていくのだ。ムタード(西洋からし)の辛さがこれまた良く合う。結局平らげてしまい、アルザス料理と言えばシュークルートと言われる所以が、何だか分かるような気がしたのだった。
さて、私のお気に入りアルザス料理はFleichschnacka/フライシュナーカという料理だ。
ハーブや香辛料を入れた肉のミンチを生パスタでロールし、輪切りにしてフライパンで焼き、牛の髄でとったスープにつけたもの。
サラダが付け合せになる。
一度友人宅でフライシュナーカの手料理をご馳走になったことがある。アルザスを離れる前のことで、友人が郷土料理をと腕によりをかけてくれたのだった。同じフライシュナーカでもミンチに入れる野菜やハーブ、香辛料によって家庭それぞれに伝統の味があるそうだ。今でも忘れられないほど美味しかった。
彼女の父親は2年前にこの世を去ってしまったが、長年Boulangerie/パン屋を営んでいたらしく、引退して80歳近くになってもタルトやクッキーを作るのが好きで、良くいただいた。厳しい時代のアルザスを生き抜いた世代だが、いつも優しいジョークで周りを和ませてくれる人だった。
彼女がその日デザートに出してくれたForêt Noir/フォレ・ノア-ルの美しさ、美味しさはこれも格別で、流石ロベールの娘さん、こんなに美味しい「黒い森」は初めてと褒めちぎったら、彼女もうれしそうに笑って、もう一切れいかがと勧めてくれた。
フランスでは仲良くなると、家庭へ食事に招待される機会がよくあるが、それぞれの家庭の味、地方の味と共に、もてなしの心と楽しい会話がいつも食事を更に美味しく彩ってくれ、レストランでの食事とはまた違う味わいの時が皆で楽しめる。
La Choucroute Garnie /シュークルート・ガルニと言って、この「すっぱいキャベツ」の上にソーセージやベーコン、ポテトなどが豪快に乗って出て来る。果実味の強いアスザスワインやビールとよく合う。
キャベツを繊切りにし、塩、白ワイン、香辛料と共にかめに入れて漬けるというシンプルな方法だが、ワインや香辛料の違いにより、各家庭やレストラン独特の味になるようだ。と、ここまで書いておきながらだが、私はアルザスに来て長い間、シュークルートを食べたことがなかった。酸っぱさが苦手で、ソーセージやベーコンもシンプルに蒸し焼きしてあるだけ、ソースがかかっているわけでもないし、アルザスにはもっと美味しい料理が沢山ある。
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| シュークルート 例 |
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| フライシュナーカ 例 |
ハーブや香辛料を入れた肉のミンチを生パスタでロールし、輪切りにしてフライパンで焼き、牛の髄でとったスープにつけたもの。
サラダが付け合せになる。
一度友人宅でフライシュナーカの手料理をご馳走になったことがある。アルザスを離れる前のことで、友人が郷土料理をと腕によりをかけてくれたのだった。同じフライシュナーカでもミンチに入れる野菜やハーブ、香辛料によって家庭それぞれに伝統の味があるそうだ。今でも忘れられないほど美味しかった。
彼女の父親は2年前にこの世を去ってしまったが、長年Boulangerie/パン屋を営んでいたらしく、引退して80歳近くになってもタルトやクッキーを作るのが好きで、良くいただいた。厳しい時代のアルザスを生き抜いた世代だが、いつも優しいジョークで周りを和ませてくれる人だった。
彼女がその日デザートに出してくれたForêt Noir/フォレ・ノア-ルの美しさ、美味しさはこれも格別で、流石ロベールの娘さん、こんなに美味しい「黒い森」は初めてと褒めちぎったら、彼女もうれしそうに笑って、もう一切れいかがと勧めてくれた。
フランスでは仲良くなると、家庭へ食事に招待される機会がよくあるが、それぞれの家庭の味、地方の味と共に、もてなしの心と楽しい会話がいつも食事を更に美味しく彩ってくれ、レストランでの食事とはまた違う味わいの時が皆で楽しめる。
2011/05/11
パリVSアルザスのレストラン
「そうねぇ、美味しいって言えば私は時々Ritz/リッツに行くわ。味はなかなかよ。」
幸いなことに私達4人とも、当時はお菓子のリッツクラッカーしか知らなかった。
「リッツって、どうやって行ったら良いのでしょう?」
「4人なら、ホテルからタクシーが便利よ。運転手なら誰でも知ってるから簡単よ。」
美味しくて、簡単に行けるならそこにしようと全員一致、夕食はリッツへ行くことにした。
頭の中ではパリのビストロ、狭いテーブルの間を長いエプロン姿のギャルソンがお盆を掲げて颯爽と歩いてた。タクシーが高級ホテルの前に止まると、戸惑った私達は確認のため、
「レストランのリッツなんですけど~」運転手はここだよとブスッと言った。
来たからには、と4人で勇気を出してレストランに入った。「ご予約は?」勿論ない。
だが時間が早かったため、テーブルをつくってくれた。目を見張るような豪華な内装。
スゴーイこれぞパリ。だが困ったのはメニューを見たときだ。最低のプチコースが当時の計算で約1万円だったのを覚えている。まだクレジットカードは持ち歩かない時代のこと、まず4人テーブルの下でこそこそ、持ち現金フランを確認しあった。良かった。何とかプチコースと水なら4人分オーダーできる。皿洗いをせずに帰れると思うとほっとして、途端に楽しくウキウキになった。
料理に何が出てきたかは覚えていない。ただ、どれもとても美味しかったこと、ワインでなく水にもかかわらず、食事中給仕が二コニコと良いタイミングに来てくれて、各グラスに少しずつ注いでくれたのを覚えている。「来たぞ来たぞ日本人の若い女の子、最近パリに増えたよなぁ」と思われていただろうが、見下した素振りは全くなかった。自然で上品なサービスは今だにいい思い出になっている。トイレも広くて豪華。興奮して写真を取りまくり、4人ともすっかり「リッツ」のファンになった。シャネルが晩年住んでいた、パリでも伝統ある超高級ホテルだと知ったのは、帰ってきてからのことである。今から思えば、気取った意地悪な現地のガイドさんだった訳だが、その意地悪が私達には通じず、お蔭でまたとない楽しい時が過ごせたのだから、今はその意地悪に感謝している。
さて次は、パリのリッツにも負けないアルザスのレストランを1つ紹介しよう。
その名は「Metzgerstuwa」。残念ながらこのアルザス語の発音、何度聞いても分からない。一般にはオーナーの名前、ムッシューSchluraff/シュラフのレストランと言っている。Mulhouse/ミュルーズとColmar/コルマールの中間にあるSoultz/ソゥルツという村にある。横は肉屋さんで同じ経営だから、レストランが美味しく値段もリーズナブルなのが納得出来る。レストラン内は部屋が複雑でいくつもに分かれている。空席情況により案内されるが、螺旋階段を登ったり、部屋を横切って奥の階段から3階へ案内されたり、時には調理場を通り抜けたりもするから面白い。食べる前にキッチンの様子が見れるわけだ。それだけにとても清潔で、調理人も多く皆忙しそうだが、いつもにこやかに「ボンソワール!」
料理はアルザス郷土料理でどれも美味しくボリュームがある。最近1/2サイズができたが、それで普通の1人前ぐらい。食事の前のアミューズと最後に出てくるアルザス特産、アルコールの強い果実酒シャナップはレストランのおもてなしだ。時々体重200キロのムッシュー・シュラフが各テーブルを挨拶に回って来る。「こんばんは、食事楽しんでくれてるかい?足りなかったら遠慮しないで言ってね。お代わりあるから。」優しい目をした気さくな人で、大きな体はいつも機敏に動いている。ブタのコレクターでもあり、レストランのあちこちにブタの絵画や置物などのコレクションが飾られている。実はこのムッシュー・シュラフ、レストラン以外にも長年の料理キャリアを活かした色々な活動をしていて、全国版TVにも何度も出演しているそうだ。大きな体と人懐っこいキャラクターはどこでも人気者間違いなしだ。
最近ではインターネットやガイドブックのお蔭で日本でもアルザスのレストラン情報が得られるが、未だ日本では知られていない「Metzgerstuwa」だ。
最後にフランス語ではあるが写真と雰囲気だけでも楽しめるので、素朴なHPを紹介する。
www.metzgerstuwa.fr
1)上の写真をクリックすると拡大されます。
2)右上のA la carte 、Les vinsをクリックするとメニューになります。
写真付でないのは残念。
3)英語版は・・・出てきません。
2011/05/05
La fille de coeur/心の娘
ある日TVを付けると、シラク前大統領の娘という明らかにアジア人の女性がトークショーで話していた。養女らしいが母国が中国なのか、ベトナムなのか、日本なのかその時は分からなかった。養女になるまでのいきさつも全く知らない。だが、政界の大者が血の繋がりのない、人種の違う娘を養女にする、ちょっと日本では考えられないことだと思い、それだけに興味を持った。
その後暫らくして、あのトークショーに出ていたシラク前大統領の養女、Anh-Daoが書いた半生記"La fille de coeur" /「心の娘」を偶然本屋で見つけた。同じアジア人として親しみが湧く。思わず買ってしまった。内容は分かりやすい文章で、波乱万丈な人生が明るく笑いを誘うタッチで描かれていた。実は彼女、ベトナム難民だったのだ。フムフム。ベトナムはフランスの旧植民地、要人の誰かの娘を養女として迎えた(助けた)のではないかと頁をめくっていったが、私の想像は全く外れた。
彼女は教育者の娘として裕福に、フランスに憧れを持つ母親の影響を受けながらのびのび育つが、ベトナム戦争を境に、それまでアメリカ寄りで成功してきた父親の絶望、北と南というだけでのベトナム国内での差別の中、就職難、貧困と苦労を強いられ、とうとう難民として運を天に任すべく、家族と別れボートに乗り込み祖国を脱出する決意をする。
これまでベトナム戦争のことについては、映画やドキュメンタリーなどで少しの知識はある。だが良く考えてみると、これらは皆アメリカから見たベトナム戦争でしかない。ベトナム人から見たベトナム戦争は実際この本が初めてだった。
ボートはベトナムを脱出したものの、マレーシアの難民キャンプで2年待たされる。その間にも病気、死、飢餓が難民仲間を襲うのを目の当たりにし、それでも彼女は生きる希望を強く持ち続け、やっとの思いでフランスに入国、シャルルドゴール空港で歓声をあげ喜び合う難民の中、何故か一人泣いてしまう。その時、当時パリ市長だったムッシュー・シラクが通りかかり、彼女を養女にと決めるのだ。彼女自身、ムッシュー・シラクを知っているわけではないし、翌日本当に現れるまで半信半疑だった。1979年彼女は21歳。それからはやさしいマダムとムッシュー・シラクの養女としてのおとぎ話となる。
一般にもフランスでは、養子縁組にアジアやアフリカ、人種の違う子供を迎えるケースが増えている。それはそれで色々と問題がないでもないが、迎えた両親は肌の色や目の色の違う赤ん坊に「わが子」としての限りない愛情を注いでいる。
年齢を重ねるたび、自分に流れる血なるものを強く感じる今日この頃だが、血だけではない限りない愛情というものがあるのも頷けるし、信じたい。地球の裏側から来た子をわが子として迎える。そうすることで人間を一人救えるのならこんなに素晴らしいことはないかもしれない。とは言え、さて自分に出来ますか?と問われると、情けないが正直ノーとしか言えない。だからでもある。肌の色の違う子供をもつカップルを見かける度、素直に敬服し、その家族の末永い幸せを心から願いたくなってしまうのだ。
その後暫らくして、あのトークショーに出ていたシラク前大統領の養女、Anh-Daoが書いた半生記"La fille de coeur" /「心の娘」を偶然本屋で見つけた。同じアジア人として親しみが湧く。思わず買ってしまった。内容は分かりやすい文章で、波乱万丈な人生が明るく笑いを誘うタッチで描かれていた。実は彼女、ベトナム難民だったのだ。フムフム。ベトナムはフランスの旧植民地、要人の誰かの娘を養女として迎えた(助けた)のではないかと頁をめくっていったが、私の想像は全く外れた。
彼女は教育者の娘として裕福に、フランスに憧れを持つ母親の影響を受けながらのびのび育つが、ベトナム戦争を境に、それまでアメリカ寄りで成功してきた父親の絶望、北と南というだけでのベトナム国内での差別の中、就職難、貧困と苦労を強いられ、とうとう難民として運を天に任すべく、家族と別れボートに乗り込み祖国を脱出する決意をする。
これまでベトナム戦争のことについては、映画やドキュメンタリーなどで少しの知識はある。だが良く考えてみると、これらは皆アメリカから見たベトナム戦争でしかない。ベトナム人から見たベトナム戦争は実際この本が初めてだった。
ボートはベトナムを脱出したものの、マレーシアの難民キャンプで2年待たされる。その間にも病気、死、飢餓が難民仲間を襲うのを目の当たりにし、それでも彼女は生きる希望を強く持ち続け、やっとの思いでフランスに入国、シャルルドゴール空港で歓声をあげ喜び合う難民の中、何故か一人泣いてしまう。その時、当時パリ市長だったムッシュー・シラクが通りかかり、彼女を養女にと決めるのだ。彼女自身、ムッシュー・シラクを知っているわけではないし、翌日本当に現れるまで半信半疑だった。1979年彼女は21歳。それからはやさしいマダムとムッシュー・シラクの養女としてのおとぎ話となる。
シラク前大統領の政治的な顔は別にして、養女を迎えた家族の父親としてのムッシュー・シラクと母親としてのマダム・シラクはとても温かく、思いやりの深い人だ。少し年下の実の娘達との分け隔てをしない心配りにも胸が熱くなる。また一言もフランス語を喋れない彼女への厳しい思いやり指導も心憎い。フランス人の大らかな人間愛だろうか。血にこだわる日本人の気質とは違う面があるように思う。
年齢を重ねるたび、自分に流れる血なるものを強く感じる今日この頃だが、血だけではない限りない愛情というものがあるのも頷けるし、信じたい。地球の裏側から来た子をわが子として迎える。そうすることで人間を一人救えるのならこんなに素晴らしいことはないかもしれない。とは言え、さて自分に出来ますか?と問われると、情けないが正直ノーとしか言えない。だからでもある。肌の色の違う子供をもつカップルを見かける度、素直に敬服し、その家族の末永い幸せを心から願いたくなってしまうのだ。
2011/05/01
Flaxlanden/フラクスランデン
家の前のとうもろこし畑を横切り、農道を永遠7kmほど歩き続けたところに隣町Flaxlanden/フラクスランデンがある。通常の散歩に往復14kmは歩く気になれないが、テン予防の犬の毛をいただいた農家がそこにあり、御礼を言いにハイキングに出かけた。
とうもろこし畑は土が耕されたものの、まだ種蒔はなされておらず見晴らしが良く、所々の畑は菜の花で一面黄色に輝いていた。農道は普通の車は立ち入れない。農作業の季節はトラクターや作業の人々の車が行き交うが、今はまだたまに散歩をしている人を遠くに見かけるぐらいだ。車の音も人の声もしない静けさが広がる畑の中、聞こえるのは小鳥のおしゃべりと、時々花から花へ飛び回る蜂の羽音のみ。何気なく道の脇に目をやると草の中に土筆が出ていた。ヨーロッパにはないと思っていたので、嬉しい発見だ。それでもフランスでは食す習慣がないようだ。雑草中の雑草の扱い。日本では独特の苦味が春一番の味として喜ばれているのに残念だ。
ようやくたどり着いたFlaxlandenは、お店といえばEpicerie/エピスリ(購買店)が一件あるだけの小さな村だった。家々の庭先には復活祭のデコレーションがなされていて、木の枝のあちらこちらにぶら下がったイースターエッグや木登りをしたうさぎのぬいぐるみがあどけなく、思わずシャッターを切りたくなってしまう。エコミュゼにあるような古いアルザス家屋にもこの村では人が住んでいる。
「横柱を見てごらん。年が刻まれてるから」
家の前で日向ぼっこをしていた住人が得意げに教えてくれた。1694年、300年以上前の家だった。
新築の家も村の外れに次々と建っていたが、そのどれもが色あせて見えるほど古い家屋には味があり、手入れは大変なのだろうが村の雰囲気に調和している。勿論ながらアルザス気質の手入れは完璧だ。
通りのあちらこちらには石造りの水槽があり、きれいな水が流れ出ている。こちらもよく見ると1763と石に彫ってあった。車を使うと行きつけのスーパーから10分ほどの、何ということはない小さな村、観光地などでは全くないが、畑の中を1時間歩き続けてたどり着くとこちらの気分のせいか、ワンダーランドに入り込んだような特別な気分になってしまう。
残念ながら農家の主は留守だったので、ありがとうのメッセージだけを残し、またのんびり菜の花畑の間の農道を帰路に向った。4月というのに初夏のように暑く、木陰に入るとほっとする午後、蜂の羽音が往路よりも大きくなっているように聞こえた。
2011/04/27
中世の山城 Haut-Koenigsbourg
今回はアルザスが自慢とする、中世の山城へご案内しよう。
ミュルーズからストラスブールに向って高速を走らせていくと、中間の街コルマールを過ぎてほどなく左のVosges側、山の頂きに中世の雰囲気漂う山城が見えてくる。これがHaut-Koenigsbourg/オー・クニグスブールだ。青空に映える城はポストカードそのまま文句なく美しいが、雨になりそうな灰色の空に聳える城も迫力があり、ドラマティックだ。夜はライトアップされるので、更に遠くまでその存在感を強くアピールしている。
Haut-Koenigsbourg/オー・クニグスブールは12世紀、Hohenstaufen/ホーエンシュタウフェン家によって建てられた「王の城」という名の城だ。1633年、30年戦争の戦いでスウェーデン人により焼失し、以後長い年月廃墟となっていた。1971年、普仏戦争でアルザスがドイツ領となった後、ドイツ最後の皇帝ウィルヘルム2世の命で1901年から1908年の年月をかけて修復され、綿密に中世の山城が再現されたのだった。その修復は見事である。当時のドイツ帝国の技術と財力、そして最後の皇帝ウィルヘルム2世と Bodo Ebhardt/建築家・考古学家の情熱の賜だろう。第2次世界大戦後アルザスがフランスになっても、1993年には歴史的建造物に指定され、今だアルザス観光の名所として多くの観光客の心を捉えている。
ミュルーズからストラスブールに向って高速を走らせていくと、中間の街コルマールを過ぎてほどなく左のVosges側、山の頂きに中世の雰囲気漂う山城が見えてくる。これがHaut-Koenigsbourg/オー・クニグスブールだ。青空に映える城はポストカードそのまま文句なく美しいが、雨になりそうな灰色の空に聳える城も迫力があり、ドラマティックだ。夜はライトアップされるので、更に遠くまでその存在感を強くアピールしている。
Haut-Koenigsbourg/オー・クニグスブールは12世紀、Hohenstaufen/ホーエンシュタウフェン家によって建てられた「王の城」という名の城だ。1633年、30年戦争の戦いでスウェーデン人により焼失し、以後長い年月廃墟となっていた。1971年、普仏戦争でアルザスがドイツ領となった後、ドイツ最後の皇帝ウィルヘルム2世の命で1901年から1908年の年月をかけて修復され、綿密に中世の山城が再現されたのだった。その修復は見事である。当時のドイツ帝国の技術と財力、そして最後の皇帝ウィルヘルム2世と Bodo Ebhardt/建築家・考古学家の情熱の賜だろう。第2次世界大戦後アルザスがフランスになっても、1993年には歴史的建造物に指定され、今だアルザス観光の名所として多くの観光客の心を捉えている。
城の中も各部屋細やかな復元が行き届いている。その様子はまるで先日まで当時の人々が生活していたかのようだ。中庭からふと窓辺を見ると、無邪気な中世の娘達が微笑みかけているような気さえしてしまう。寒さが厳しいアルザスの山の上、冬はさぞ寒いに違いないと思うだろうが、タイル張りの大きな暖炉はエアコンより、セントラルヒーティングよりも心地よい暖となる。暖炉は現在使われているわけではないが、前にドイツのレストランで同じタイル張りの暖炉を見たことがある。その心地よい暖は最新技術のかなわないものだった。
おとぎ話に入り込んだような気分で城の裏側を下って来たところ、ふと聳え立つ城の壁に所々穴があるのに気付いた。何のためだろう?水路ではない。空気穴だろうか。それにしては大きい。
ちょうど係員が通りかかったので尋ねてみた。
「トイレだよ。昔は小便も大便も真っ逆さまに落ちていったのさぁ。」
そして直接、植物の肥しになっていったというわけか。大胆な中世の設計だ。
最後に知られざる中世お城物語の現実を垣間見たようで楽しくなってしまった。
2011/04/21
犯人は極上の毛皮
桜の花が散り、眩しい新緑の葉が木々を覆い始めた。木の下に注ぐ太陽の光もいつの間にか柔らかな木漏れ日に変わっている。冬の間味気なかった芝生やクローバーも日々元気良く伸び始めた。
そうしたある朝、庭の芝生のあちこちが荒らされているのに気付いた。イノシシの仕業と同じく芝生を土ごとひっくり返されているのだが、イノシシほどダイナミックな大きさではなく、縦横3~4センチほどの大きさ。だがその数は半歩ごとに数え切れないほどで、棒を差し込んだような穴もある。いったい何者だ?
カラスか?鳥にしては穴が大きすぎる。モグラか?土の中から出てきたようすはない。狐か?狐は芝生を荒らさない。栗鼠か?栗鼠は可愛すぎる。鹿か?柵から入って来れない!
恐らくMartre/マルトルだろう。だが、そう言いながら隣人は皆あまり信じていない。マルトルは森の動物だよ。
犯人が分からないまま数日荒らされ続けた。どうも夜来るようだ。外灯をつけたままにしてみた。明りを避けるかもしれない。
さてMartre/マルトルとは?ふさふさしたしっぽが気になって電子辞書を引いてみた。日本語ではテン、イタチ科の動物だ。
森林に住み、よく木に登るとある。夜行性でネズミ、リス、小鳥、果実などを食べる。毛皮は最高級品とされているらしい。確かに薄暗い中でも毛並みの良さは印象的だった。木に登るということは、柵の隙間をふさいでも無駄ということか。そして何よりも気になったのは、最近、お馴染みリス君たちの姿を見なくなったことだ・・・やられてしまったのだろうか?
案の定、昨晩また入って来たようだ。満月の光に照らされて、芝生の下に何を探しているのか不可解だ。日本ではテンは化けるとも言われているらしい。
「狐七化け、狸八化け、貂(テン)九化け」
何かの化身かしらん?全く別の好奇心が湧いてくる。
何かと物騒がせな春である。
追加)農家の方に知恵をいただき、いただいた犬の毛を撒いてみたところ、来なくなった。
イノシシには人間の髪の毛、テンには犬の毛が効くようだ。
そうしたある朝、庭の芝生のあちこちが荒らされているのに気付いた。イノシシの仕業と同じく芝生を土ごとひっくり返されているのだが、イノシシほどダイナミックな大きさではなく、縦横3~4センチほどの大きさ。だがその数は半歩ごとに数え切れないほどで、棒を差し込んだような穴もある。いったい何者だ?
カラスか?鳥にしては穴が大きすぎる。モグラか?土の中から出てきたようすはない。狐か?狐は芝生を荒らさない。栗鼠か?栗鼠は可愛すぎる。鹿か?柵から入って来れない!
恐らくMartre/マルトルだろう。だが、そう言いながら隣人は皆あまり信じていない。マルトルは森の動物だよ。
| 犯人は誰だ? |
10時ごろ、ふとガラスドア越しに外を見ると5mほど先に動物が芝生を嗅ぎ回ってる。外灯の薄明かりではっきり見えないが猫より少し大きめ、犬より小さい。長いしっぽがふさふさしているようだ。鼻の部分が少し尖がっているようで「あらいぐまラスカル」を思い出した。
「でた~!」人間の気配に気付いたようだが、その動物は慌てる風でもなく、淡々と消え去った。
私の描写から、やはりマルトルだろうということになった。だが厄介な事に予防策がないそうだ。取りあえず柵の隙間を全て石や木で塞ぎ、イノシシ除けの髪の毛をばら撒いた。「でた~!」人間の気配に気付いたようだが、その動物は慌てる風でもなく、淡々と消え去った。
さてMartre/マルトルとは?ふさふさしたしっぽが気になって電子辞書を引いてみた。日本語ではテン、イタチ科の動物だ。
森林に住み、よく木に登るとある。夜行性でネズミ、リス、小鳥、果実などを食べる。毛皮は最高級品とされているらしい。確かに薄暗い中でも毛並みの良さは印象的だった。木に登るということは、柵の隙間をふさいでも無駄ということか。そして何よりも気になったのは、最近、お馴染みリス君たちの姿を見なくなったことだ・・・やられてしまったのだろうか?
案の定、昨晩また入って来たようだ。満月の光に照らされて、芝生の下に何を探しているのか不可解だ。日本ではテンは化けるとも言われているらしい。
「狐七化け、狸八化け、貂(テン)九化け」
何かの化身かしらん?全く別の好奇心が湧いてくる。
何かと物騒がせな春である。
追加)農家の方に知恵をいただき、いただいた犬の毛を撒いてみたところ、来なくなった。
イノシシには人間の髪の毛、テンには犬の毛が効くようだ。
2011/04/17
ベルリン会議とアフリカ
![]() |
| 1912年のアフリカ Wikipediaより |
ベルリン会議という国際会議が1884年11月から1885年2月にかけて、ドイツの首都で開催された。参加国はドイツ帝国、イギリス、フランス、ベルギー、ポルトガル、イタリア、オーストリア、オランダ、スペイン、デンマーク、スウェーデン、アメリカ合衆国、ロシア帝国、オスマン帝国の計14カ国。アフリカのコンゴ植民地化をめぐり、ベルギーとそれを支持するフランスに対し、ポルトガルとそれを支持するイギリスの対立の収拾が図られ、また「アフリカ分割」の原則が確認された。以降アフリカを植民地化する場合は、ベルリン協定調印諸国にその内容を通告し、会議で確認された原則を遵守するべしとなる。尤もらしいが、このアフリカ大陸に関する国際会議にアフリカからは一人も参加していない。参加国代表のほとんどは、アフリカに1歩も足を踏み入れたことがなく、アフリカ人は「黒い生き物」として、研究の対象としか見なされなかったらしい。結局ベルリン会議は列強国のアフリカ植民地化を更に進めることになり、1912年までにリベリア、エチオピアを除くアフリカの全土がヨーロッパのわずか7国(スペイン、イタリア、フランス、イギリス、ドイツ、ポルトガル、ベルギー)によって分割支配されたのだった。
ちょうどチュニジアが自由の歓喜で沸き上がった頃、TVの特集番組で、私は初めてベルリン会議のことを知った。列強国とは何とも勝手な事をしてきたもんだなぁと思う。今回アフリカに連鎖して起こっている革命で、早速チュニジアからイタリア南部の島に大多数の難民が押し寄せ、イタリアをはじめヨーロッパ各国は冷や汗をかいている。ヨーロッパ諸国にとって移民難民の問題は年々深刻になるばかりだが、冷静に考えると因果応報かとも思えてしまう。アフリカだけではない。南北アメリカ、オーストラリア、アジア、中東、列強国は植民地を広げることで列強を保ってきたとも言える。ふと、開国を迫られ明治維新に突入していった日本に思いが走った。列強国にとって日本人はどう映っていたのだろうか。
1882年(明治15年)
伊藤博文が憲法調査のためヨーロッパを訪問。
1884年(明治17年)
華族令を制定し、華族制度を整える。
1885年(明治18年)
太政官制を廃止し、内閣制を導入。
初代内閣総理大臣に伊藤博文が就任。
新設された枢密院の議長にも就任。
また外務卿・井上馨による欧化政策で、欧米諸国との交渉を有利に運ぶため、風俗や生活様式の西洋化が進められる。1883年(明治16年)には日比谷に「鹿鳴館」が建設され、政府高官や外国公使などによる西洋風の舞踏会がしきりに開かれていた頃だ。
アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、列強国同士が牽制し合う中、アジアの一国、明らかに近代化に遅れを取った日本が外交を進めていくのは、今以上に大変だっただろうと思う。時の運もあったかもしれないが、よく植民地にされずにすんだなと思わずにはいられない。
その理由は色々あるようだが、実は日本と全く関係ないアフリカ分割が理由の一つでもあるようだ。列強国がアフリカ陣取りに忙しくなり、遠い島国、簡単でもなさそうな日本に手を回す余裕がなかったから、らしい。
井上馨は度々ヨーロッパを視察して、現地では日本人が「見た目」によって半未開の人種として実は「珍獣扱い」されているという事実に気づいていた(事実、欧米での初期日本研究は文化人類学・民族学の範疇に属しており、自分たちとは違う人種として研究対象とされていたのである)。井上と伊藤博文らは日本人がこうした扱いから免れるようになるためには、欧米と同じ文化水準である事を海外に示さない限りはまともな外交交渉の相手としても認められないという事実に気づいていたのである。
やっぱり「黄色い生き物」だったようだ。列強国にとってはアフリカ人もアジア人も「生き物」でしかなかったのが現実だろう。
だが実際には当時の日本人、文化が違い文明が遅れてはいても、考察力の鋭さと先見の明は列強国並だったのではないだろうか。だからこそ日本は難しい外交をきりぬけ、近代国家の道を驚くほどの速さで歩いてこれたのではないだろうか?
そして何より明治維新前後に活躍したリーダーは、それぞれが日本国のためを思い、日本国のために集中した。私利私欲などなかったのではないだろうか。
これからアフリカの国々に必要なのは、私欲は別にして、国のために考え行動出来るリーダーの出現だと言われている。そうでなければ民衆の勇気は無駄になってしまう。だがこれはアフリカだけでもない。世界中かつて列強国と言われた国々ですら、政治も経済もそんなリーダーが不足しているように思えてならない21世紀だ。
2011/04/11
ランチタイム
| お惣菜屋 |
アルザスは昼の12時から2時まで駐車場が無料になる。ランチタイムだからだ。初めて知った時、口があ~んぐりして、流石フランス、食事への意気込みが違うと思ってしまった。2時間の昼休みというのも日本や、ヨーロッパでもイギリスでは考えられない。サンドイッチの国イギリスでは仕事をしながら、歩きながら昼食を済ませる人が多い。フランスでは違う。昼時のレストラン、週日はMenu du jour/ムニュ ドゥ ジュールといって日替わりの前菜、メイン、デザートのコースがあるが、これに別料金でもコーヒーで締めるのが通常だ。食事にワインは当然。気分がいいと食前酒もとなる。Menuが地方でも最低10ユーロする最近の物価高だ。水、ワイン、コーヒー、チップと合わせると外食は毎日の昼食にお手頃とはいい難い。それでもしっかり食事を取らないと、しっかり仕事が出来ないようだ。レストランはどこも人でいっぱいになる。
マーケットのサラミソーセージ |
多くの人は自宅へもどって家族で昼食を取る。職場から学校から、昼は一旦家に帰って2時間後また戻って来る。だからフランスの渋滞は日に4度となる。学校には給食があるにはあるらしい。ただ利用する人がそれほどいないとか。いったい家で何を食べているのだろうかと不思議になってしまう。
私は日本で勤めていた時、45分間の昼休みで充分だった。昼食はいつも軽めにしていた。そうでなければ午後眠くなってしまう。その分夕方早く帰れるほうが嬉しい。フランスでは昼が長い分、夕方は早くても6時までが通常だ。非効率なだけではない。昼時の車移動を止めればCO2も減って環境にも良いし、経済的節約にもなるのではないかと思う。アルザスの皆さん、弁当持参に変えてはいかがでしょう?同僚やクラスメイトとのコミュニケーションを取る良い機会にもなる。12時、学校迎えや昼食支度に職場から猛スピードで走り去るお母さんドライバーを見送りながら、大変だなぁ・・・お弁当の方が楽だろうにと思っていた。
| チーズ店 |
だがこんなお弁当を作ってしまった日には、仕事どころか花見にでも行きたくならないかしらん?
2011/04/08
花まつりと復活祭
4月8日は釈迦の誕生日、仏教行事として「花まつり」が行われる。仏教国日本だが、12月25日キリストの誕生日ほどは知られていない。私も高校時代、仏教委員などが回って来なかったら、すっかり忘れていたと思う。「花まつり」は宗派に関係なく、春の花で飾られた花御堂の中、甘茶で満ちた灌仏桶の中央に立つ誕生仏に、柄杓で甘茶をかけて祝う。甘茶をかけるのは、釈迦の誕生時、産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来するらしい。私の通った仏教高校でも、礼拝堂(らいはいどう)の舞台に花御堂が設置され、クラスを代表して甘茶をかけるのが仏教委員の役目だった。小さな行事だが、花に囲まれてすっくり立ったお釈迦様がいつになく愛らしく思えた。甘茶の味を初めて知ったのもこの時だ。散りかけた桜と「花まつり」、釈迦の誕生日が記憶の中で結びついてしまった。
ヨーロッパではちょうど同じ頃がEaster/イースター(復活祭)だ。十字架にかけられて息絶えたイエス・キリストが、三日目に復活したことを記念する祝日。「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」にあたるため、毎年日付が変わる移動祝日で、2011年は4月24日。例年より遅めだと思う。
カーニバルの終わる火曜日の翌日、灰の水曜日からを四句節といい、肉、乳製品、卵を絶つが、イースターがその解禁日だ。だから食卓には動物性食品、卵・バター・乳をふんだんに使ったケーキやお菓子、いわゆるご馳走が並ぶ。イースターは宗教行事以上にホリデーとしても、人々の楽しみになっている。日本のゴールデン・ウィークの感覚だろう。旅行に出かけない人は、家でのんびり美味しいものに囲まれて過ごす。この時期はスーパーもスペシャルな美味しい物で活気づく。フォアグラや子羊、子牛、各種ソーセージ、などなど。お菓子コーナーにはイースター・エッグのチョコや、生命の躍動が象徴とされるウサギのチョコで賑やかだ。
フランスはカトリックの国だが、最近教会離れが続いている。
伝統としての宗教は受け入れるが、個人的には信じていない人が周りにも多い。聖職者の信者を裏切るような不祥事が続いたせいで、システムに批判的な人もいる。
宗教を聞かれると私は「大多数の日本人と同じくBuddhist/仏教徒です。でも宗教というよりは、むしろ哲学として受け入れている。」と答えることにしている。
フランスでは仏教は哲学と見なされる。フランス語の学校で、初めてこのことを習ったときは少々驚いたが、私はこの考え方がとても好きだ。哲学だと他宗教の人々にも寛容さを与える。実際に仏教は他宗教を否定しないし、「我々の
神を信じろ」ではなく「自分自身を見つめろ」だから、宗教というよりは哲学かもしれない。それもあってか、フランスでのダライ・ラマの人気は絶大だ。ここ数年来ZENブームだったりもするので、仏教について興味のある人は増えていて、日本人である私に質問が飛んでくることもよくある。有難いことに高校時代、仏教や倫理の授業で習った基本的なことが大変役に立っている。
(こんなことなら居眠りなどせず、もっとちゃんと聞いておけば良かった。だが桜並木の見える窓辺の席はあまりに気持ち良すぎた。)
当時は全く無駄な授業だと思っていたが、何十年も経って、フランスで役立つとは夢にも思わなかった。仏教校を選んだわけではもちろんない。第一志望を落ちたから仕方なく行っただけだが、これも何かの縁、仏の導きだったのだろうか?
人生、無駄なことってないもんだなぁ。
花まつり、復活祭の4月、生命の息吹の中でこう感じるのだった。
ヨーロッパではちょうど同じ頃がEaster/イースター(復活祭)だ。十字架にかけられて息絶えたイエス・キリストが、三日目に復活したことを記念する祝日。「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」にあたるため、毎年日付が変わる移動祝日で、2011年は4月24日。例年より遅めだと思う。
カーニバルの終わる火曜日の翌日、灰の水曜日からを四句節といい、肉、乳製品、卵を絶つが、イースターがその解禁日だ。だから食卓には動物性食品、卵・バター・乳をふんだんに使ったケーキやお菓子、いわゆるご馳走が並ぶ。イースターは宗教行事以上にホリデーとしても、人々の楽しみになっている。日本のゴールデン・ウィークの感覚だろう。旅行に出かけない人は、家でのんびり美味しいものに囲まれて過ごす。この時期はスーパーもスペシャルな美味しい物で活気づく。フォアグラや子羊、子牛、各種ソーセージ、などなど。お菓子コーナーにはイースター・エッグのチョコや、生命の躍動が象徴とされるウサギのチョコで賑やかだ。
フランスはカトリックの国だが、最近教会離れが続いている。
伝統としての宗教は受け入れるが、個人的には信じていない人が周りにも多い。聖職者の信者を裏切るような不祥事が続いたせいで、システムに批判的な人もいる。
宗教を聞かれると私は「大多数の日本人と同じくBuddhist/仏教徒です。でも宗教というよりは、むしろ哲学として受け入れている。」と答えることにしている。
フランスでは仏教は哲学と見なされる。フランス語の学校で、初めてこのことを習ったときは少々驚いたが、私はこの考え方がとても好きだ。哲学だと他宗教の人々にも寛容さを与える。実際に仏教は他宗教を否定しないし、「我々の
(こんなことなら居眠りなどせず、もっとちゃんと聞いておけば良かった。だが桜並木の見える窓辺の席はあまりに気持ち良すぎた。)
当時は全く無駄な授業だと思っていたが、何十年も経って、フランスで役立つとは夢にも思わなかった。仏教校を選んだわけではもちろんない。第一志望を落ちたから仕方なく行っただけだが、これも何かの縁、仏の導きだったのだろうか?
人生、無駄なことってないもんだなぁ。
花まつり、復活祭の4月、生命の息吹の中でこう感じるのだった。
2011/04/04
Ecomusée d'Alsace/エコミュゼ アルザス
Ecomusée d'Alsace/エコミュゼ アルザスは「最後の授業」の頃のアルザスがそのまま体験できる、空の下のMusée/ミュゼ(博物館)だ。広がる青空、ぽかぽか春の陽気で野の花が一斉に花開き、桜やマグノリアの硬かった蕾も刻々とほころんでいく。動物達も嬉しそう。ついつい学校をサボってしまっていたフランツ少年の気持ちも理解できるに違いない。
エントランスを潜ると何よりもまず、大きく伸びをしたくなる。そこは百年以上昔のアルザス。車もコンクリートもない世界だ。耳を澄ませば小鳥の歌声とコウノトリのクラックラックラッ、それに答えるように何処からか牛の声が響いてくる。自然と歩調もゆっくりになる。
1989年にオープンしたこのエコミュゼは、新築のために取り壊されていく昔ながらの建築を惜しみ、何とか保存したいと数人のアルザシアンが空き地に移設したことから始まったものらしい。現在ではアルザス中の古い建築(中には15世紀に遡るものも)が70件集められた100ヘクタールもの広さの中、ハーブ園や野菜畑があり、牛やロバやヤギなどの家畜もいて、パン屋や加治屋、散髪屋もある「生きている博物館」で、フランス、ヨーロッパ中から多くの人々が訪れている。
鍛冶屋では職人が、真赤に焼けた鉄を炉から取り出し、トンテンカンテン打ちながら素早く形をつくっている。これはデモンストレーションでもあり、見学者の質問には何でも愛想よく答えてくれる。職人の多くは地元のボランティアらしい。
角の小さな建物の前には、理髪店の円柱サインが立っていた。中に入るとまるで映画から抜け出てきたような主人が髭剃りナイフを研ぎながら、あごを泡で包まれ仰向けに座っている客に向って話しかけていた。志望者に髭剃り体験をさせているところだった。
農家の一角には牛や山羊が住んでいて、時間が来ると乳搾りが始まる。見学の人だかりに緊張したのか、牛のMaitala/マイタラ(アルザス語で小さな女の子)は注目を集めた途端、尻尾を逆立て思いっきりおしっこを飛ばし始めた。ダイナミックさに笑いが起こる。なかなか止まらないがこれも愛嬌。乳絞りの女性はうろたえる事もなく愛牛の用が済むのを待ち、慣れた手つきで乳をほぐすとリズム良く絞り始めた。調子が出ると見学の子供達に変わって体験させる。子供達はおずおず慣れない手つきだが、マイタラはそれでも気持ちよさそうにおとなしくしていた。
桜が満開になった家の中では若々しいおばあちゃまアルザシエンヌが野草のスープを作り、試食と共に材料の色々な野草の説明をしている。香りは野草のハーモニー、口にした途端体中が喜んでいるのが分かるようなスープだった。おばあちゃま曰く、森や野原に行けば何処にでも生えている野草、こんなスープを食べていたら病気なんかしないのよ!そうだろうなと見学者一同納得だ。
明るい黄色の壁の家、ふと裏に回ると大きな孔雀が散歩していた。ツンと頭を上向け「私をご覧!きれいでしょう」と気取った姿、カメラを向けられているのも充分承知のようで、私が主人よ!といった感じで立っていた。その鮮やかな美しさには脱帽だが、エコミュゼの主人公と言えばやはりコウノトリだろう。
木組みの家の屋根にはあちらこちらに大きな巣があり、アルザスの主人公達は気ままに飛んだり、散歩したり、巣でくつろいだりしている。百年以上昔と同じ光景だ。
ミュゼ内にはアルザス料理が味わえるレストランもある。またパン屋では昔ながらの方法で釜を使って焼いている。その味の良さにエコミュゼまでパンだけを買いに来る客もいて、夕方には全部売り切れになる。スタッフがパンを家に買って帰れたことがないと得意げに嘆いていた。ここのタルトフランべ(アルザス風ピザ)も絶品だ。
産業革命以降も文明は発展し続け、その急速さは増すばかりだ。田舎でも砂漠でも携帯が繋がり、PCが使える便利な現代だが、だからこそ、たまには文明のバイブレーションのないところで体と心をのびのびさせたい。歩き回って動物とふれ合い、小さな自然に目を向けてみると日頃忘れていたシンプルな感情が戻ってくる。そんな1日の後は何も考えずにぐっすり眠れる。結局それが人間にとって一番の幸せなのかもしれない。
1989年にオープンしたこのエコミュゼは、新築のために取り壊されていく昔ながらの建築を惜しみ、何とか保存したいと数人のアルザシアンが空き地に移設したことから始まったものらしい。現在ではアルザス中の古い建築(中には15世紀に遡るものも)が70件集められた100ヘクタールもの広さの中、ハーブ園や野菜畑があり、牛やロバやヤギなどの家畜もいて、パン屋や加治屋、散髪屋もある「生きている博物館」で、フランス、ヨーロッパ中から多くの人々が訪れている。
角の小さな建物の前には、理髪店の円柱サインが立っていた。中に入るとまるで映画から抜け出てきたような主人が髭剃りナイフを研ぎながら、あごを泡で包まれ仰向けに座っている客に向って話しかけていた。志望者に髭剃り体験をさせているところだった。
農家の一角には牛や山羊が住んでいて、時間が来ると乳搾りが始まる。見学の人だかりに緊張したのか、牛のMaitala/マイタラ(アルザス語で小さな女の子)は注目を集めた途端、尻尾を逆立て思いっきりおしっこを飛ばし始めた。ダイナミックさに笑いが起こる。なかなか止まらないがこれも愛嬌。乳絞りの女性はうろたえる事もなく愛牛の用が済むのを待ち、慣れた手つきで乳をほぐすとリズム良く絞り始めた。調子が出ると見学の子供達に変わって体験させる。子供達はおずおず慣れない手つきだが、マイタラはそれでも気持ちよさそうにおとなしくしていた。
桜が満開になった家の中では若々しいおばあちゃまアルザシエンヌが野草のスープを作り、試食と共に材料の色々な野草の説明をしている。香りは野草のハーモニー、口にした途端体中が喜んでいるのが分かるようなスープだった。おばあちゃま曰く、森や野原に行けば何処にでも生えている野草、こんなスープを食べていたら病気なんかしないのよ!そうだろうなと見学者一同納得だ。
明るい黄色の壁の家、ふと裏に回ると大きな孔雀が散歩していた。ツンと頭を上向け「私をご覧!きれいでしょう」と気取った姿、カメラを向けられているのも充分承知のようで、私が主人よ!といった感じで立っていた。その鮮やかな美しさには脱帽だが、エコミュゼの主人公と言えばやはりコウノトリだろう。
木組みの家の屋根にはあちらこちらに大きな巣があり、アルザスの主人公達は気ままに飛んだり、散歩したり、巣でくつろいだりしている。百年以上昔と同じ光景だ。
ミュゼ内にはアルザス料理が味わえるレストランもある。またパン屋では昔ながらの方法で釜を使って焼いている。その味の良さにエコミュゼまでパンだけを買いに来る客もいて、夕方には全部売り切れになる。スタッフがパンを家に買って帰れたことがないと得意げに嘆いていた。ここのタルトフランべ(アルザス風ピザ)も絶品だ。
産業革命以降も文明は発展し続け、その急速さは増すばかりだ。田舎でも砂漠でも携帯が繋がり、PCが使える便利な現代だが、だからこそ、たまには文明のバイブレーションのないところで体と心をのびのびさせたい。歩き回って動物とふれ合い、小さな自然に目を向けてみると日頃忘れていたシンプルな感情が戻ってくる。そんな1日の後は何も考えずにぐっすり眠れる。結局それが人間にとって一番の幸せなのかもしれない。
2011/04/02
アルザスにも!
これまでアルザスについて、自然と街の美しさや長閑さを色々紹介してきた。ところがこのアルザスの情況を、日本の「FUKUSHIMA」が変えてしまった。今近隣国から「危険極まりない」と非難され、デモも起きている。アルザスのHaut Rhin/オ・ラン県(ライン川上流)、Fessenheim/フッセンハイムという村に、フランスで最も古い、1977年から稼動しているCentrale nucléaire de Fessenheim/フッセンハイム原子力発電所があるからだ。Mulhouse/ミュルーズから15Km、スイスのBasel/バーゼルから40Km、ドイツのFreiburg/フライブルグから20Kmというアルザスでも大変身近な地域に、である。観光、ショッピング、食べ歩きには便利で魅力的な国境沿いという利点、原発の危険性から見ると確かに「とんでもない」。しかもバーゼルはスイス第3の都市、大手薬品会社の本社もある。一方フライブルグはドイツが誇る環境都市で、近くにはバーデンワイラーをはじめとする温泉保養地もある。
原発に78%の電力量を頼るフランスでは、現在のところ特別な政策が出されていない。フランスは日本の地形と異なるので、地震、津波のような惨事は起こり得ないということだ。日本から流れてくる放射能の為、薬局で放射能薬(副作用大)の売切れが続くフランスの割りには呑気に思えるが、政策となると別のようだ。それでも3月27日に行われた仏統一県議選の決選投票では、野党の社会党が票を伸ばし、環境保護政党が原発に対する懸念の追い風で議席倍増になった。このような状況下、アルザスでは相変わらず与党の国民運動連合(UMP)に票が集まってしまったので、隣国の反感に繋がっている。
ドイツにおける原発の電力量は全体の約23%、スイスは40%で、閉鎖すると40兆スイスフランの損失が出ると算出された。ちなみに日本は27%。
私は以前、ライン川沿いのフッセンハイム原発所のそばを通りかかったことがある。アルザスに原発があることは知っていた。「あそこのムッシューは長年原発で働いていたんだよ。もう定年になったけどね。息子はまだ働いてるよ。」なんて話は日常の会話にも出てきていた。原子力にヒヤッとはするものの、原発は原子爆弾とは別、核とはいえ平和利用であり、技術は常に進んでいる、事故は起こらないと信じれていた。そのため原発で働く人々は安全を第一に、それぞれの仕事に責任と誇りを持って臨んでいる。チェルノブイリは?となるが、20年前のソ連で起こったことだから・・・。確かに私は無知の楽観者だが、フランスも日本も大多数がそうだったから、これまで原発が突っ走ってこれた現実もあるのではないだろうか。事故は起こり得ない。起こっても大惨事には成り得ない。
フランスは日本と地形が異なると言うが、ライン渓谷は地震地帯で、1356年にはスイスのバーゼルで大地震が起こっている。起こるはずのないことが起こり続ける昨今の地球現象だ。千年に一度が明日かもしれない。人為的事故は人間の力で防げても、自然災害による事故の前で、人間はこんなにも無力になってしまうのか。「FUKUSHIMA」は世界にそれを見せつけた。
だからといってどこの国であれ、それでは原発は止めましょうと簡単に廃止出来るものでもないとは思う。その費用、雇用問題は大きい。原発に換わるエネルギーにもプラス、マイナスがある。それに加えて政治的、経済的駆け引きが各国それぞれにあるわけだから、原発廃止が実現するとしても、まだまだ何年もかかることだろう。
これからは、原発の危険性を唱え反対するだけでなく、それに換わる新エネルギーの開発だけでもなく、かかる費用、比較数値、新雇用の見込み、跡地利用など、もっと具体的な提案が求められるのではないだろうか。ドイツでは既に活動が盛んだ。そして初めに実施した国が成功すれば手本となり、世界に広まっていくのだろうと思う。日本は被災国、原爆経験国でもある。依存率も27%とドイツに近い。新エネルギー技術は充分だと信じる。何とか初めの原発廃止実施国になれないものかと夢を持ちたくなる。そのためには技術者、政治家、経済界、民衆の私欲を超えた連携プレーが必要だ。
同時に電力の無駄使いも見直すいいチャンスだと思う。24時間ギラギラ輝き続けるネオンサインはそろそろ止めてはどうだろう?人々の気分もより落ち着けて、夜空の星が見えるようになるし、小さな節約が集まれば大きな数値になる。
アルザスや日本だけではない。この美しい地球の未来のため、現代に生きる私達が、
どげんかせんといかん!と思い始めた。
| フランス・ミュルーズ |
福島第1原子力発電所の事故を受け、ドイツのメルケル首相(キリスト教民主同盟/CDU)は3月15日、ドイツの原発17基のうち、1980年以前に稼働を開始した7基について、当面運転を停止すると発表した。安全性を再点検するためとしている。それでも3月27日の州議会選挙ではCDUが惨敗し、環境政党、緑の党が大きく躍進する結果となった。
スイスでは現存する原発5基の稼動期間が近年中に終了するため、それらに代わる新しい原発の建設が計画されていたが、連邦議会は3カ所の原発建設計画を未だ議決しておらず、2013年に国民投票が予定されている。原発に78%の電力量を頼るフランスでは、現在のところ特別な政策が出されていない。フランスは日本の地形と異なるので、地震、津波のような惨事は起こり得ないということだ。日本から流れてくる放射能の為、薬局で放射能薬(副作用大)の売切れが続くフランスの割りには呑気に思えるが、政策となると別のようだ。それでも3月27日に行われた仏統一県議選の決選投票では、野党の社会党が票を伸ばし、環境保護政党が原発に対する懸念の追い風で議席倍増になった。このような状況下、アルザスでは相変わらず与党の国民運動連合(UMP)に票が集まってしまったので、隣国の反感に繋がっている。
| ドイツ・フライブルグ |
私は以前、ライン川沿いのフッセンハイム原発所のそばを通りかかったことがある。アルザスに原発があることは知っていた。「あそこのムッシューは長年原発で働いていたんだよ。もう定年になったけどね。息子はまだ働いてるよ。」なんて話は日常の会話にも出てきていた。原子力にヒヤッとはするものの、原発は原子爆弾とは別、核とはいえ平和利用であり、技術は常に進んでいる、事故は起こらないと信じれていた。そのため原発で働く人々は安全を第一に、それぞれの仕事に責任と誇りを持って臨んでいる。チェルノブイリは?となるが、20年前のソ連で起こったことだから・・・。確かに私は無知の楽観者だが、フランスも日本も大多数がそうだったから、これまで原発が突っ走ってこれた現実もあるのではないだろうか。事故は起こり得ない。起こっても大惨事には成り得ない。
フランスは日本と地形が異なると言うが、ライン渓谷は地震地帯で、1356年にはスイスのバーゼルで大地震が起こっている。起こるはずのないことが起こり続ける昨今の地球現象だ。千年に一度が明日かもしれない。人為的事故は人間の力で防げても、自然災害による事故の前で、人間はこんなにも無力になってしまうのか。「FUKUSHIMA」は世界にそれを見せつけた。
| スイス・バーゼル |
これからは、原発の危険性を唱え反対するだけでなく、それに換わる新エネルギーの開発だけでもなく、かかる費用、比較数値、新雇用の見込み、跡地利用など、もっと具体的な提案が求められるのではないだろうか。ドイツでは既に活動が盛んだ。そして初めに実施した国が成功すれば手本となり、世界に広まっていくのだろうと思う。日本は被災国、原爆経験国でもある。依存率も27%とドイツに近い。新エネルギー技術は充分だと信じる。何とか初めの原発廃止実施国になれないものかと夢を持ちたくなる。そのためには技術者、政治家、経済界、民衆の私欲を超えた連携プレーが必要だ。
同時に電力の無駄使いも見直すいいチャンスだと思う。24時間ギラギラ輝き続けるネオンサインはそろそろ止めてはどうだろう?人々の気分もより落ち着けて、夜空の星が見えるようになるし、小さな節約が集まれば大きな数値になる。
アルザスや日本だけではない。この美しい地球の未来のため、現代に生きる私達が、
どげんかせんといかん!と思い始めた。
2011/03/27
サマータイムとたんぽぽ
サマータイムになった。フランスでは3月の最終日曜日午前2時に、1時間プラスで午前3時となる。戻るのは10月の最終日曜日午前2時。この時はマイナス1時間で午前1時となる。日本との8時間の時差がサマータイムの間は7時間になることになる。
1時間の差だが毎たびリズムが狂わされるのは確かで、体調、ムードに影響がありすぎると反対意見も多いようだ。いつも3月と10月のこの時期はTVやラジオでサマータイム話題が多く、討論が繰り広げられている。睡眠の調節は別にして、私の腹時計は自動変更になっているPC並みだ。昨日まで11時だった昼の12時、お腹はちゃんとランチを待っているのだから我ながら驚いてしまう。また、サマータイムの恩恵を一番良く感じるのは夕方だ。これまで7時ごろ暗くなっていたのに、8時頃まで明るいことになる。本格的な春の始まりだ。
日々庭の白や黄色の小さな野花が増えていく。たんぽぽの蕾は恥ずかしがり屋のようで、まだ葉っぱの中に隠れているものが多い。実は昨年からこの時期を楽しみにしていた。というのも近所のマダムからたんぽぽサラダの話を聞いたのが昨年の春、日本では西洋たんぽぽと呼ばれるたんぽぽの葉をサラダにして食べられるということだった。あのたんぽぽを?あまりに親しみのある花なだけに「食べる」のは変に感じたが、西洋では薬草として扱われていたらしく、葉には多くのビタミンCやベータカロチンが含まれていて利尿作用もあるとか。たんぽぽを英語ではDandelion/ダンデライオンというがこれはフランス語から来ていて、フランス語も同じDent-de-lion/ドンデリオン/ライオンの歯という意味。葉がライオンの歯に似ているかららしい。また別名をPissenlit/ピスアンリといい、こちらはPiss en lit/寝床でピス/おねしょという意味。たんぽぽの利尿作用からついた名前のようだ。フランスではピスアンリの方が良く使われているように思う。
昨年話を聞いたのは、花が既に満開を過ぎた、残念ながらサラダには遅しの時期だった。花が咲く前の、葉が柔らかい時期が食べ頃らしい。ということで私はこの時期を心待ちにしていたのだった。今年は早速摘んでサラダに加えてみた。少し苦味があるが、癖のない味だ。ただ一度摘んでしまうとあっという間に萎んでしまうので日持ちがしない。だからスーパーで見かけないのかもしれない。ベーコンとの相性も良いそうで、ベーコンサラダにしても美味しそうだ。おねしょはせずに済んだが、そう言えば利尿作用ありのような気もする。
たんぽぽに続きサクランボ、イチジク、桃、プラム、木苺、ブラックベリー、レッドカラント、りんご、ヘーゼルナッツ、栗、胡桃と、自然の美味しい恵みの豊かなアルザスでは、これからがとても楽しみな季節である。
1時間の差だが毎たびリズムが狂わされるのは確かで、体調、ムードに影響がありすぎると反対意見も多いようだ。いつも3月と10月のこの時期はTVやラジオでサマータイム話題が多く、討論が繰り広げられている。睡眠の調節は別にして、私の腹時計は自動変更になっているPC並みだ。昨日まで11時だった昼の12時、お腹はちゃんとランチを待っているのだから我ながら驚いてしまう。また、サマータイムの恩恵を一番良く感じるのは夕方だ。これまで7時ごろ暗くなっていたのに、8時頃まで明るいことになる。本格的な春の始まりだ。
日々庭の白や黄色の小さな野花が増えていく。たんぽぽの蕾は恥ずかしがり屋のようで、まだ葉っぱの中に隠れているものが多い。実は昨年からこの時期を楽しみにしていた。というのも近所のマダムからたんぽぽサラダの話を聞いたのが昨年の春、日本では西洋たんぽぽと呼ばれるたんぽぽの葉をサラダにして食べられるということだった。あのたんぽぽを?あまりに親しみのある花なだけに「食べる」のは変に感じたが、西洋では薬草として扱われていたらしく、葉には多くのビタミンCやベータカロチンが含まれていて利尿作用もあるとか。たんぽぽを英語ではDandelion/ダンデライオンというがこれはフランス語から来ていて、フランス語も同じDent-de-lion/ドンデリオン/ライオンの歯という意味。葉がライオンの歯に似ているかららしい。また別名をPissenlit/ピスアンリといい、こちらはPiss en lit/寝床でピス/おねしょという意味。たんぽぽの利尿作用からついた名前のようだ。フランスではピスアンリの方が良く使われているように思う。
昨年話を聞いたのは、花が既に満開を過ぎた、残念ながらサラダには遅しの時期だった。花が咲く前の、葉が柔らかい時期が食べ頃らしい。ということで私はこの時期を心待ちにしていたのだった。今年は早速摘んでサラダに加えてみた。少し苦味があるが、癖のない味だ。ただ一度摘んでしまうとあっという間に萎んでしまうので日持ちがしない。だからスーパーで見かけないのかもしれない。ベーコンとの相性も良いそうで、ベーコンサラダにしても美味しそうだ。おねしょはせずに済んだが、そう言えば利尿作用ありのような気もする。
たんぽぽに続きサクランボ、イチジク、桃、プラム、木苺、ブラックベリー、レッドカラント、りんご、ヘーゼルナッツ、栗、胡桃と、自然の美味しい恵みの豊かなアルザスでは、これからがとても楽しみな季節である。
2011/03/26
Basel/バーゼルぶらぶら
バーゼル駅 |
麗らかな春らしい朝、遠出をしたくなってスイスのBasel/バーゼルへ電車で出かけた。Mulhouse/ミュルーズから電車で20分。スイスはEUでもユーロ圏でもないからパスポートを忘れてはいけない。以前はスイスに入った辺りからパスポートコントロールが回って来て、何でもないのにコントロールの鋭い目に緊張したものだが、2008年よりスイスのシェンゲン協定(ヨーロッパの国家間において国境審査なしに国境を越えることを許可する協定)加盟によりなくなったそうだ。あっけなくバーゼル駅に着いてしまった。フランス語でBâle/バールというがドイツ語でBasel/バーゼル。ジュネーヴ、チューリッヒに継ぐスイス第3の都市で、ドイツ語圏になる。製薬会社のノヴァルティスやロシェの本社があり、製薬業の世界的中心都市である他、メッセ(展示会場)では毎年春に開催される世界最大規模の時計見本市が有名だ。駅の周辺にはホテルも多い。駅から街の中心まで徒歩15分。トラム(路面電車)を使うことも出来る。ライン川が街の中心を流れていて、北のKleinbasel/小バーゼルと南のGrossbasel/大バーゼルに分かれ、私立美術館、人形博物館、市庁舎、古い街並みなど観光の見所は大バーゼル側に多い。
Barfüsserplatz/バルフュッサープラッツというトラム駅の前の広場では、蚤の市が開かれていた。11月末から12月にかけてはクリスマスマーケットが開かれる場所でもある。何でもありのガラクタが所狭しと並んでいるが、特に買うようなものはない。売るほうも長いすを広げて、ぽかぽか日向ぼっこをしながらサンドイッチをかじっている。商売っ気などまるでない。
更に下っていくと、豪華絢爛な市庁舎が見えてくる。大きな時計塔と壁面のフレスコ画が特徴的なゴシック様式の建物だ。1501年にバーゼル市がスイス連邦に加盟したのをきっかけとして、1504年~1514年にかけて建てられた。時計塔は19世紀末~20世紀初に増築されたものらしい。市庁舎に面したMarktplatz/マルクトプラッツ広場では、通常のマーケットの日で野菜や果物、チーズ、オリーブが並ぶ。中でもキノコ店が珍しかった。何処からがソーゼージの焼ける美味しそうな臭いも・・・食欲を誘われる。
マルクトプラッツから歩いて数分、ライン川にかかった大橋に突き当たる。
この橋から向こう側が小バーゼルだ。ライン川沿いにはずらりとホテルが立ち並び、季節がよくなるとテラスは人でいっぱいになる。ライン川はスイスの山奥が源泉で、バーゼルを経て、フランスのアルザス、ドイツを流れ、オランダのロッテルダムで海に合流する大河だ。
橋から見えるところには渡し舟もあり、高いロープに沿って小さな船が岸を行ったり来たりしている。片道1スイスフラン。交通手段というよりは観光として、ライン川を船で渡るのも面白い。
左 上流側
建ち並ぶ
ホテル
右 下流側
渡し舟
最後に私立劇場の前庭の噴水を訪れた。この噴水はスイス出身の芸術家タンゲリーによるもので、バーゼルの謝肉祭(Fasnacht)を題材としている。Jean Tinguely/ジャン・タンゲリー(1925~1991)は1960年、ニューヨークの近代美術館で展示された「ニューヨークへのオマージュ」で一躍国際的な名声を得た。小バーゼル地区にはタンゲリー美術館もある。
壊れた自転車や銅管、鉄板、あらゆる大型ゴミが動く彫刻の材料となっている。もともと社会がどれだけの粗大ゴミを出しているかに注目したところから、彼の芸術が始まった。それを知って見ると、何これ芸術もその面白さが見えてくる。
バーゼルは特別な名所のある観光地ではないが、古いスイスの街並みが残されていて、穏かで治安も良い。ぶらぶら歩いて小さな通りを発見したり、人々の日常を垣間見たりが楽しい街だ。
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