恥ずかしながら私はモーパッサンの「女の一生」を読んだことがなかった。悲しい話というのは知っていて、それが「女の一生」というので敬遠していた。私は運命に強く立ち向かって行くヒロインが好きだ。倒れてもその土を掴み天に突きつけて、「神様が証人だ。私はもう二度と飢えたりしない。どんなことをしてでも生きのびていく。」と誓うスカーレット・オハラのようなヒロインは読んでいて元気になれる。
ところが機が熟した。ここはフランス、日本語の本も英語の本も手に入らない。フランスに住んでフランス語をかじり、かの有名なモーパッサンの「女の一生」を読んだことがないでは女が廃るので読むことにした。とカッコつけても仕方がない。正直に言うと、本屋をぶらついてら「女の一生」3.3ユーロと手頃価格の文庫本を見つけ、おまけにそれほど厚くなかったので買ってしまったのだった。
まだ手に取ったことのない方、昔のことですっかり忘れてしまった方のため、簡単にストーリーを。
男爵の娘ジャンヌは女学校卒業後、牧師や両親の見繕いのまま伯爵のジュリアンと結婚する。当時の上流階級の一般的な結婚であり、強い恋愛感情はないもののコルシカへの新婚旅行までは幸せだった。ところがこの夫、タイトルはあってもお金がなく、大ケチで浮気性、ジャンヌの資金を牛耳り、その上ジャンヌと姉妹同然育った使用人ロザンヌに手を出して、子供まで生まれる。父親が誰だか知らずにジャンヌはロザンヌを庇うが、真実を知って人生への活力を失ってしまい、無関心になることで現状を保ちつつ暮らしていく。結局夫ジュリアンは事故(実際には浮気相手の夫の殺人)でこの世を去り、ジャンヌは残されたひとり息子ポールに没頭する。甘やかされて育ったポールは成人しても浪費を重ね、送金し続けるジャンヌは資産を使い切ってしまう。最後は幸運にもロザンヌに助けられ、ポールの生まれたばかりの娘を引き取ったところで話は終わる。
「人生は思うほど良くもなければ悪くもない」が物語最後のフレーズだ
波乱の人生ではあるが、運命に流される女性像は予想通りの悲しい、女性としてはやるせないストーリーだ。そうは言っても私の稚拙なフランス語、辞書を引き引き筋をたどるのがやっとだから、モーパッサンの文才を味わうなんてとんでもない。1883年発表当時はスキャンダルになったらしいが、女性は女性でしかなかった時代の物語で、女性の自立の歴史はヨーロッパと言えども浅いのだなと思ってしまった。ただ女性論は別にして、1つ大変感心したことがある。タイトルの日本語訳についてだ。驚くことに実は「女の一生」はフラン語で「女の一生」ではなかった。"Une vie" 英語にすると、"A life"。通常誰かの人生の物語という場合 "The life" となるように、フランス語でも定冠詞が使われると "La vie" となる。Une は英語の a と同じで特定しない、一つのという不定冠詞だ。だから "Une vie" を日本語に直訳すると「ある者の一生」となる。原作には "L'humble vérité"/取るに足らない真実 というサブタイトルがついている。
私が感銘を受けたのは、この「女」のない "Une vie" を「女の一生」とズバリ言い切ってしまった翻訳者の感性と潔さである。実際この物語は「女の一生」以外の何物でもない。
外国語をかじって初めて気づくことだが、翻訳は理解とはまた別の才能が必要だ。原作を充分理解した上で、文化、思考がこれだけ違うヨーロッパ語を日本語に訳す場合、1+1=2になるとは限らない。全く違う言葉が表現にぴったりくることも多く、それを一文ずつこなしていく翻訳は地道で、両方の言語は勿論、幅広い知識と感性が問われる。読者には作者の黒子になりきる地味な存在でありながら、翻訳次第で作品への感想が大きく変わりかねない大変な仕事だと思う。英語教育の前にしっかりした国語力をと言われる今日この頃でもあるが、粋な訳を見つける度、私は高度な語学力を持つ翻訳者の、それ以上の国語力に感銘を受けるのだ。
あっ、「風と共に去りぬ」の最後のシーン!
返信削除もうずいぶん前に観ました。感動的でしたワ
「女の一生」は、読んでません...
やぎさんは、読書家ですねー流石だわ!
ピンと来て頂いて嬉しい!!題名を書くべきかなと迷ったんですが・・・よかった。
返信削除読書は好きなんですけどかなり偏ってて。。日本のになると全然知りません。超シャイでごまかします。