ドーデ(1840-1897) |
フランツ少年が朝、遅刻して学校に行く。厳しいアメル先生が今日は怒らない。いつもと様子が違うぞと感じていたところ、先生が皆に今日が最後の授業だと告げる。戦争に負けてしまったため、明日からはすべてがドイツ語に変わり、先生も変わってしまうのだ。初めてフランツ少年はこれまで勉強を疎かにしてきたことを後悔する。アメル先生が授業の終わりに「Vive La France!(フランス 万歳!)」と黒板に書いて物語は終わる。
日本では知る人ぞ知る「最後の授業」。なぜなら小学校の国語の教科書に載っていて、私も5年生か6年生で学び、感想文まで書かされたのを覚えている。当時私は、先生の狙い通り母国語の大切さを感じる一方で、「と言うことはアルザスの人はフランス語とドイツ語が出来るのか・・カッコイイなぁ。」と思った。感想文にもそう書きたかったが、思ったことを書きすぎてよく怒られたので、結局無難に終わらせたのも良く覚えている。これが私とアルザスとの出会いであった。私にとってアルザスは遠く、暗く貧しく、悲しい所だった。
実際のアルザスは太陽がいっぱいの、昔から農業、産業、商業共に栄えた豊かな国だった。
だからこそ、取り合いの対象となってしまう過酷な運命にあったのだ。
この物語は、第1、2世界大戦よりずっと前の普仏戦争(1870年)においてフランスが負け、アルザス・ロレーヌがドイツ領となった時の話だ。作者Alphonse Daudet/アルフォンス・ドーデは南仏の出身でアルザス人ではない。結局ドーデはフランス語を通して、戦争に負けたことの屈辱感とフランス愛国心を訴えたわけで、アルザスの人々へというよりはフランスの人々へ向けた話のようである。アルフォンス・ドーデはフランス人なら誰でもが知る作家だが、実際「最後の授業」を知っているアルザス人に私は会ったことがない。尋ねる度にがっかりさせられている。
母国語についてもアルザスではフランス語、ドイツ語以前にアルザス語が母国語である。これはドイツ語に近い。現在でも若い人は使わなくなったものの、老夫婦の会話はアルザス語で交わされることが多い。世代にもよるが、アルザス語、フランス語、ドイツ語を普通に話せる人が珍しくないマルチリンガルな所である。
母国語の大切さを考えさせられるこの短編小説は、日本で長らく教科書に採用され、感動を与え続けてきた。 けれど現実にはアルザスの母国語はアルザス語であり、フランス中央の政治的な意図が絡む裏面があったことから反省され、1986年に教科書から消えた。云わば、ストーリーそのままを純粋に理解し感動してしまった日本人が、作者の思惑とは別に日本において、美しい「最後の授業」ワールドを作っていたというわけだ。侵略されたことのない幸運な島国日本が陥りやすいことで、この現象は「最後の授業」に限らずと私は感じている。
さて、アルザスの歴史はとかく複雑で過酷である。それについては次回をご期待下さい。
シャイやぎさん
返信削除シャイとらデース!(^^)!
「最後の授業」知りませんでした。
ご紹介下さりありがとう
楽しみ!です。次回!!!
最後の授業、貴女からのお便りに刺激されて図書館で借りて読み、感動したことを思い出しました。この物語に深い意図があり、日本では教科書から外され・・アルザスの人達は殆ど知らず・・。母国語を変えさせる悲劇は、先の戦争で日本もアジアの人々に強制したのでした。日本でもこの事実を知る人は少なくなってきているでしょう。バルト3国の旅では母国語を民謡で残していった智恵があったと知りました。人間の素晴らしい一面ですよね。
返信削除珍竹林さん
返信削除シャイとらってこれまたいい感じですね!
最後の授業・・・教科書でやらない限り
日本でも有名ってわけではない小さな物語です。
みいちゃんさん
返信削除そうでしたか図書館で!わぁ、なんだかとってもうれしい!
民謡で母国語を残していった・・とは切ない気持ちと強い意志が
伝わってくるようですね。言葉の殺し合いもせずに済む平和な
世界をただただ願いたくなります。