「アルザス」とひとことで言っても昔は一つではなかった。ストラスブール、コルマール、ミュルーズ、そして小さな村々それぞれに長い歴史がある。ケルト人が住んでいた、神聖ローマ帝国がやってきた、アルマン人が増えた、フランスのルイ14世に割譲された、フランス革命に積極的だった、自由都市となった、スイスと同盟を結んだetc…
その中でもミュルーズは最後まで独立を保てた 都市らしく、1798年市民投票の結果、フランスに編入を決定する。栄えているとはいえ、小さな都市が独立を保てる時代ではなくなったからだ。この編入についてミュルーズ歴史博物館の説明員は「民主的な投票の結果」と力説していた。「自ら選択した」という事実は誇りと責任感に繋がる。個人も国も同じだなと思ってしまった。
何はともあれ、このミュルーズのフランス編入で現在と同じアルザスの形となった。
さてこれからが更なる波乱なアルザスの運命だ。
1798年から73年後
1871年 普仏戦争においてフランスの敗北により、アルザス・ロレーヌはドイツ領となる。
「最後の授業」はこの時の物語で1873年に出版された。
47年後
1918年 第一次世界大戦においてドイツの敗北により、アルザス・ロレーヌはフランス領となる。
22年後
1940年 第2次世界大戦においてドイツの侵略により、アルザス・ロレーヌはドイツに占領される。
4年後
1944年 第2次世界大戦においてドイツの敗北により、アルザス・ロレーヌはフランス領となる。
あっちに取られこっちに取られ。その度に政治は勿論、機関、言語、教育、すべてが変わる。
決して遠い昔のことではない。
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ミュルーズ歴史博物館渡り廊下 |
つい先日スーパーで、ふとしたことから見知らぬ紳士と立ち話をする機会があった。老齢ながらきちんとした身繕いで姿勢が良く、話しにも活気があり、鋭く澄んだ目が若々しい紳士だった。
「失礼ですがおいくつ・・・?」90過ぎと聞いてびっくり。
「うそでしょ」よく言われるらしい。
「ホントだよ。なんたって私は4回国籍が変わったのだから。まず生まれたときはドイツ人、それからフランス人・・・・」
1917年生まれだった。
得意気に指折り数える紳士。激流の時代を生き抜いた人間の、悟りのような優しさがあった。
私は長い間、実のところアルザスの人々は、フランス、ドイツ、どちらからを始まりとし、どちら派なのだろうかと興味を持っていた。フランス語のサイトではルイ14世のストラスブール入城が重要ポイントとして出てくる。フランス革命に積極的だったとも。日本語のサイトではドイツ語からの訳が多いのか、ドイツ寄りを強く感じる。「1944年フランスに占領」なんて表現も出てくるほどだ。歴史とは奇なもので、事実は同じでも視点によって話が変わる。しかもよく考えればアルザスは、日本のような単一民族ではない。地続きにフランス、ドイツ、スイス、イタリア、その他からも様々な人が移り住み、結婚し子孫を作り、アルザス人となっていった。当然人々の考えはその時代時代の影響と、先祖や家族、仕事や友人、結婚相手などの影響も受け、変わってくる。だからこそ複雑であったのだろう。ただ第2次世界大戦後65年以上経った今、アルザスの人々は、アルザス人であることを誇りとしながらフランス人としてのアイデンティティを持ち、道徳や安全が崩れていく「我が国」フランスを憂いつつ生きている、という印象を受ける。
かつてのデメリットであった国境沿いはグローバル社会においてメリットに変わり、ドイツ語が出来ることもプラスとなったアルザスは、住民一人当たりの総生産、輸出高がフランスの中でも高い、豊かな地方となった。
めでたし、めでたしと言いたいところだが、歴史はひと時も止まらない。更に次の時代へ突入しようとしているのを感じずにはいられない日々である。私はこのことを歴史の延長としてお伝えしたい。
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