2011/03/27

サマータイムとたんぽぽ

サマータイムになった。フランスでは3月の最終日曜日午前2時に、1時間プラスで午前3時となる。戻るのは10月の最終日曜日午前2時。この時はマイナス1時間で午前1時となる。日本との8時間の時差がサマータイムの間は7時間になることになる。

1時間の差だが毎たびリズムが狂わされるのは確かで、体調、ムードに影響がありすぎると反対意見も多いようだ。いつも3月と10月のこの時期はTVやラジオでサマータイム話題が多く、討論が繰り広げられている。睡眠の調節は別にして、私の腹時計は自動変更になっているPC並みだ。昨日まで11時だった昼の12時、お腹はちゃんとランチを待っているのだから我ながら驚いてしまう。また、サマータイムの恩恵を一番良く感じるのは夕方だ。これまで7時ごろ暗くなっていたのに、8時頃まで明るいことになる。本格的な春の始まりだ。

日々庭の白や黄色の小さな野花が増えていく。たんぽぽの蕾は恥ずかしがり屋のようで、まだ葉っぱの中に隠れているものが多い。実は昨年からこの時期を楽しみにしていた。というのも近所のマダムからたんぽぽサラダの話を聞いたのが昨年の春、日本では西洋たんぽぽと呼ばれるたんぽぽの葉をサラダにして食べられるということだった。あのたんぽぽを?あまりに親しみのある花なだけに「食べる」のは変に感じたが、西洋では薬草として扱われていたらしく、葉には多くのビタミンCやベータカロチンが含まれていて利尿作用もあるとか。たんぽぽを英語ではDandelion/ダンデライオンというがこれはフランス語から来ていて、フランス語も同じDent-de-lion/ドンデリオン/ライオンの歯という意味。葉がライオンの歯に似ているかららしい。また別名をPissenlit/ピスアンリといい、こちらはPiss en lit/寝床でピス/おねしょという意味。たんぽぽの利尿作用からついた名前のようだ。フランスではピスアンリの方が良く使われているように思う。

昨年話を聞いたのは、花が既に満開を過ぎた、残念ながらサラダには遅しの時期だった。花が咲く前の、葉が柔らかい時期が食べ頃らしい。ということで私はこの時期を心待ちにしていたのだった。今年は早速摘んでサラダに加えてみた。少し苦味があるが、癖のない味だ。ただ一度摘んでしまうとあっという間に萎んでしまうので日持ちがしない。だからスーパーで見かけないのかもしれない。ベーコンとの相性も良いそうで、ベーコンサラダにしても美味しそうだ。おねしょはせずに済んだが、そう言えば利尿作用ありのような気もする。


たんぽぽに続きサクランボ、イチジク、桃、プラム、木苺、ブラックベリー、レッドカラント、りんご、ヘーゼルナッツ、栗、胡桃と、自然の美味しい恵みの豊かなアルザスでは、これからがとても楽しみな季節である。

2011/03/26

Basel/バーゼルぶらぶら

バーゼル駅
麗らかな春らしい朝、遠出をしたくなってスイスのBasel/バーゼルへ電車で出かけた。Mulhouse/ミュルーズから電車で20分。スイスはEUでもユーロ圏でもないからパスポートを忘れてはいけない。以前はスイスに入った辺りからパスポートコントロールが回って来て、何でもないのにコントロールの鋭い目に緊張したものだが、2008年よりスイスのシェンゲン協定(ヨーロッパの国家間において国境審査なしに国境を越えることを許可する協定)加盟によりなくなったそうだ。あっけなくバーゼル駅に着いてしまった。フランス語でBâle/バールというがドイツ語でBasel/バーゼル。ジュネーヴ、チューリッヒに継ぐスイス第3の都市で、ドイツ語圏になる。製薬会社のノヴァルティスやロシェの本社があり、製薬業の世界的中心都市である他、メッセ(展示会場)では毎年春に開催される世界最大規模の時計見本市が有名だ。駅の周辺にはホテルも多い。駅から街の中心まで徒歩15分。トラム(路面電車)を使うことも出来る。ライン川が街の中心を流れていて、北のKleinbasel/小バーゼルと南のGrossbasel/大バーゼルに分かれ、私立美術館、人形博物館、市庁舎、古い街並みなど観光の見所は大バーゼル側に多い。

Barfüsserplatz/バルフュッサープラッツというトラム駅の前の広場では、蚤の市が開かれていた。11月末から12月にかけてはクリスマスマーケットが開かれる場所でもある。何でもありのガラクタが所狭しと並んでいるが、特に買うようなものはない。売るほうも長いすを広げて、ぽかぽか日向ぼっこをしながらサンドイッチをかじっている。商売っ気などまるでない。
広場のすぐ近くには人形博物館がある。入ったことはないが、ウィンドーに飾られた西洋人形やテディベアのぬいぐるみが可愛らしい。ちょうど日本の着物特別展の期間で、ビルを見上げると、スイスの青空に日本の着物がはためいていた。粋な宣伝だ。バーゼルには日本人も多く住んでいると聞いたことがある。

更に下っていくと、豪華絢爛な市庁舎が見えてくる。大きな時計塔と壁面のフレスコ画が特徴的なゴシック様式の建物だ。1501年にバーゼル市がスイス連邦に加盟したのをきっかけとして、1504年~1514年にかけて建てられた。時計塔は19世紀末~20世紀初に増築されたものらしい。市庁舎に面したMarktplatz/マルクトプラッツ広場では、通常のマーケットの日で野菜や果物、チーズ、オリーブが並ぶ。中でもキノコ店が珍しかった。何処からがソーゼージの焼ける美味しそうな臭いも・・・食欲を誘われる。


マルクトプラッツから歩いて数分、ライン川にかかった大橋に突き当たる。
この橋から向こう側が小バーゼルだ。ライン川沿いにはずらりとホテルが立ち並び、季節がよくなるとテラスは人でいっぱいになる。ライン川はスイスの山奥が源泉で、バーゼルを経て、フランスのアルザス、ドイツを流れ、オランダのロッテルダムで海に合流する大河だ。
橋から見えるところには渡し舟もあり、高いロープに沿って小さな船が岸を行ったり来たりしている。片道1スイスフラン。交通手段というよりは観光として、ライン川を船で渡るのも面白い。

 
左 上流側
 建ち並ぶ
 ホテル

右 下流側
  渡し舟



最後に私立劇場の前庭の噴水を訪れた。この噴水はスイス出身の芸術家タンゲリーによるもので、バーゼルの謝肉祭(Fasnacht)を題材としている。Jean Tinguely/ジャン・タンゲリー(1925~1991)は1960年、ニューヨークの近代美術館で展示された「ニューヨークへのオマージュ」で一躍国際的な名声を得た。小バーゼル地区にはタンゲリー美術館もある。
壊れた自転車や銅管、鉄板、あらゆる大型ゴミが動く彫刻の材料となっている。もともと社会がどれだけの粗大ゴミを出しているかに注目したところから、彼の芸術が始まった。それを知って見ると、何これ芸術もその面白さが見えてくる。


バーゼルは特別な名所のある観光地ではないが、古いスイスの街並みが残されていて、穏かで治安も良い。ぶらぶら歩いて小さな通りを発見したり、人々の日常を垣間見たりが楽しい街だ。

2011/03/23

Wisdom

親知らずがまたこの数日うずき始めた。
「親知らず」とは冷たい言葉だなと思って辞書を見たら「知恵歯」「知(智)歯」とも言うらしい。「親知らず」の方が慣れているし、痛みだすとそう詰りたくもなるが、悪化しては困るので以下「知恵歯」とする。

私の知恵歯は20年ほど疼いては止まり、疼いては止まりしていて、4本とも成長過程だ。初めて疼いたのは就職して2年目だった。直属の上司が知恵歯の抜歯手術で1週間休んだ後だった。復活した上司はペンチでギギギと抜き取られた大学病院での大手術の様子を自慢げに話し、部下は口をゆがめながらゾッとした矢先のことだった。「あの~、私もおやし・・・」らずまで言わずして上司は察してくれた。「大変だ。すぐ見てもらって来なさい。」仕事中にも関わらず、会社の前の歯科医院を紹介してくれた。永久歯になって歯医者さんとは無縁だったので行くのが怖かったが、診察室に入ってみると優しくてハンサムな先生だった。
「取りあえず鎮静剤を処方するので、様子を見ましょう。」と言われた。そして、
「せっかくだからついでにチェックを・・・あぁ、虫歯がありますね。」
虫歯ショックで肩を落として帰ってきた私を上司が待ち構えていた。
「どうだったね」
「鎮静剤をもらいました。様子を見ましょうと。でも虫歯を見つけられてしまいました!」
「ワッハッハ。虫歯か。虫歯ぐらいいいじゃないか。」
「良くありません。私、これまで虫歯が1本もなかったんですから。ショックでした。」
「虫歯ゼロか?ワッハッハ。そりゃスゴイなぁ。だが手術よりましだろうワッハッハ。心配するな、仕事中に行っていいから。」厳しくて怖い上司がとても楽しそうに笑っていた。

それから10年以上、知恵歯は時々疼きながらも大きな問題なく、少しずつのびてきた。ある時別の歯医者さんで歯全体のレントゲンと撮ってもらう機会があった。
「知恵歯は痛んでませんか?」
「時々疼きますけど、今は大丈夫です。」
「あなたのね、人一倍大きいんですよね。根が深くって、ほら、大切な神経すれすれまで来てる。抜くとなると大変ですよ。大学病院での大手術になるかもしれない。」
遠い記憶、ワッハッハ上司の顔が浮かんだ。
「まぁ上手く生えきったり、逆に生えてこなかったりすれば問題ない訳だから、様子を見ていきましょう。」

そういう訳で私の知恵歯はクセモノだ。今回はとうとう午後に近所の歯科医を訪ねた。親切にも詰まった予約の合間に診て下さった。
「取りあえず鎮静剤をあげるから、様子を見ましょう。でも下の左右とも、いづれは取った方がいいですね。」と簡単に言われた。フランスでは知恵歯はさっさと取りましょうなのだろうか。
だが、撮られたのは部分レントゲンだから、先生は私の根が深~い真実をまだ知らない。
「ついでにチェックを・・・あっ、虫歯がありますね。」
まただ。でも手術よりましだと今回は思えた。結局虫歯治療の予約をもらって帰ってきた。
薬が効いて、今は痛みが治まっている。

知恵歯を英語では「Wisdom tooth」フランス語では「Dent de sagesse」という。WidomもSagesseも英知、賢さ、分別などと言う意味。知恵歯に同じだ。親知らずという表現は日本語独特のようだ・・・と書いていたらつい先ほど、友人から「親知らず!」というタイトルのメールが来た。歯が痛かったはすっかり忘れて、私の極楽とんぼに「親の心知らず!」とお叱りを受けたのかと思ってしまったが、開けてみると「親知らずお見舞い」だった。こう反応してしまうのは、やはり日頃の行ないからだろうか?

何はともあれ、何とか抜歯せずして、小生の大きな知恵/Wisdom/Sagesseを一生守り抜きたいと切に願っている。

2011/03/21

今年も空から来客が

Sidonie a rendu visite à Gertrude et Barnabé.

野生コウノトリ・シドニーが置物コウノトリ・バルナべとジェルトルードを訪問しました。


お久しぶりねバルナべさん














上がシドニー
下がバルナベ


 
ジェルトルードさんも相変わらずお元気そうで

 
 














目線の方に
ジェルトルードと金の卵  

ではまたごきげんよう!

あっと間の出来事で、お茶をお出しする暇もありませんでした。


2011/03/19

日本へ

昨年のワールドカップで、意外に勝ち抜いていった日本チームが世界の注目を集めた。フットボールの強さや技ではなく、戦いぶりにだった。正々堂々としていて、ズルさがなく紳士的、我よりもチームプレーに徹した姿に称賛があがり、フランスでは試合中も解説者の口から「サムライ、サムライ」という言葉が連発していた。見ていて清々しい試合ぶりだった。
純粋なスポーツ以上になり過ぎた各国のフットボール事情。選手は大スターで巨額の年収を手にし、中にはスポーツマンシップなど忘れた行動やエゴトリップ、傲慢さが目につく中、個人よりはチーム一体で懸命に戦う日本が世界の目に新鮮に映ったようだった。

日本は今回また、地震・津波・原発という辛い理由ではあるが、世界の注目をあびている。その中でも東北の被災地の人々の冷静さ、自制心、秩序には災害直後から称賛が絶えない。フランスでは初め、その姿に戸惑いを感じたようだ。ゴールデンタイムのニュースには専門家が登場し、日本精神についての解説まであった。昨日の特集番組では、フランスの救助隊と共に被災地に入ったジャーナリストが、公民館の避難所での平穏さに驚きを隠せなかった。「Apocalypse/アポカリプス、この世の終わりのような惨事の中で」と言いながら、カメラが薄暗い避難所の、他人と背中合わせに場所を共有している人々の顔を映した。その表情は皆驚くほど平静で、ある年配の女性には穏かな微笑みすら浮かんでいて、私は突然涙が止まらなくなってしまった。寒く、食料不足、歯ブラシもない大変な状況下で、家族や周りを優しく励ます、無我の慈しみの微笑みだったからだ。遠くから心配意外何も出来ないこちらの方が慰められてしまうようだった。またマイクを向けられた80歳以上の女性は「家も何も全部流されてしまいましたけど、これからどうにかみんなと力を合わせて頑張っていきます。」とジャーナリストに向って深々とお辞儀をした。

「何かが起こった時、その人の本性が現れる」とよく言われるが、東北の人々の毅然さ、我を捨てる潔さ、思いやりの優しさ、道徳心は、痛みの中から日本中の人々に、考え直そうよと教えてくれているような気がする。そしてそれは日本だけでなく、世界中に必要なメッセージでもある。

日本の災害中もチュニジアから始まったエジプト、バーレーン、リビア、次々と連鎖していく民衆の怒りは止まらない。ヨーロッパの財政、経済不安も引き続き。株式市場や為替、日本経済の混乱を利用して、更に儲けを企むマネーゲームも展開されているはずだ。世界第2位、19の原子力発電所58基を持つフランスは、連日原発の安全性、必要性/反対の討論が続き、原発で働く委託労働者の悲惨な労働条件なども浮き彫りになってきている。

世界唯一原爆を2度も落とされた日本、過酷な自然と逞しく共存してきた日本、一時は一億人総中流と言われた日本、まずは何が何でも今回の原発の危機を乗り越えて欲しい。被災地の人々の安全を確保して欲しい。そして痛みを教訓に、経済大国2位は退いたが、今こそ違う意味での世界の先進国になるべき時なのかもしれない。それが出来る国民なのではないか。
今回このように希望を持ったのは、私だけではないと信じている。


追加)昨日公開した後、友人から転送メールでこのようなYouTubeが送られてきた。
   被災地の方々に見ていただきたいが、心配している遠方の方々へも!ということで
   紹介させていただきます。
   http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc

2011/03/16

おいしい水

フランスには美味しい水が沢山ある。日本でも見かけるEvian/エヴィアンやVolvic/ヴォルヴィック、鉱泉水のBadoit/バドア、Contrex/コントレックスとVittel/ヴィッテルはヴォージュ山脈の水で、Calora/カローラとWattwiller/ヴァトヴィレールはアルザスの水だ。その他にも多数の種類があって、どれも成分が違うので味も違う。だがこだわらなければ水は水、違いはさほど分からない。また飲み水以外でVichy/ヴィッシーやAvène/アヴェンヌは化粧水として使われている。

ロンドンに滞在していた時、直接の飲水はペットボトルのエヴィアンやヴォルヴィックを買っていた。ある日ホームステイ先のイギリス人がフランスの水「エヴィアン」に気付き、ふんとなって言った。「何故わざわざ水を買って飲んでるんだよぉ。」「だって水道水は・・・」お腹こわすほど繊細には見えないけどね・・・とでも言いたげに、にっと笑って「水道水で充分だよ。ペットボトルの方がプラスチックだし信用できないね。イギリス人はみんな水道水を飲んでるよ。」
最後のフレーズが私の負けん気をくすぐった。「ナイーブなジャパニーズと思うなよ。イギリス人が飲んで大丈夫なら私だって。」ぐぐぐっと水道水を飲んでみた。しばらくしてまたぐぐぐっ。お腹はグルッともいわず平気だった。実際ロンドンの水道水は臭いも変な味もなく、普通の水だった。それから私はイギリス人みんなと同じ水道派になった。後で知ったことだが、イギリス人とは言え、実際は人によりけりのようだ。どうりでスーパーの水売場が大きいわけだ。だがぐぐぐっの勢いにすっかり気を良くしたそのイギリス人は、レストランでも「A glass of Tap Water please」で水道水がもらえることまで教えてくれた。これは無料。お蔭でその分いつもデザートが楽しめた。後で分かったことだが、レストランや同行者によって「水道水」を頼むのは恥ずかしい場合も多々ある。

フランスでも初めはペットボトル水を買っていた。L'eau gazeuse/炭酸水が好みだったこともある。だがミュルーズの水道水はフランスでもきれいな水、安心して飲めること知り、水道水に切り替えた。体のために冷えた飲料水を飲むのは良くない。飲水は常温が鉄則。そうは言っても暑い夏、ペットボトルは一度開けてしまうとプラスチックの臭いがしてしまうこともある。その点水道水は適度に冷えていて常にフレッシュでよい。

水道水称賛ばかりをしてしまったが、ヨーロッパも日本も段々水道水が直接飲めなくなりつつある事実は知っている。その分世界中で水ビジネスの勢いがやたらと良いが、土壌汚染や温暖化が原因でその源泉に問題が出てきたりもしているのが現実だ。

ところで水道と言えば、「水道哲学」という1932年に唱えられた松下幸之助の経営哲学がある。

「産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、通行人が之を飲んでも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に楽土を建設する事が出来るのである。」

昭和7年、家電は高級品で一般には手が届かなかった。便利な物資が誰にでも手に入ることは人々の幸せに繋がり、この世に楽土が築けると信じれたほど日本は貧しかった。日本だけではない。アメリカもヨーロッパも一般人はまだ貧しかった。物が溢れる現代、人々がより幸せになったか?には疑問があるが、かといって1932年にタイムトラベルしてしまったらどうだろう?ほとんどの人が21世紀の便利さに涙すると思う。只、インターネットでワンクリックすればどんな物資も手に入る正に「水道の水の如く」の今日、実際の水道水が安心して飲めなくなり、飲水を購入しなければならなくなったのは皮肉なことに感じる。先見の明があった松下幸之助も「水道哲学」を唱えた80年ほど前、世界の水事情がここまで急速に変わるとは予想しなかったのではと思う。

"Only after the last tree has been cut down, only after the last river has been poisoned, only after the last fish has been caught, only then will you find that money cannot be eaten."
「最後の木が切り倒され、最後の川が汚染され、最後の魚が釣られて初めて、金銭が食べられないことを知るのだろう。」
こちらは古のアメリカインディアンの予言だ。このまま人間がお金の追求ばかりをしてしまうと、その日が訪れるのはそう先のことではないかもしれない。


注)これは東北地震、津波の前に書いていたものです。公開寸前、自然の力を前に人間は本当に小さな存在でしかないと見せつけられました。でも遠くから日本を見ていて、その小さな存在が冷静に自然の魔力を受けとめ、惨事を何とか乗り越えようと必死で助け合っている姿に心を打たれます。フランスではそんな日本の人々をstoïcisme/ストイシズム(自制心、平静さ、克己心)だと驚き、称賛しています。
がんばれ東北、ニッポン、がんばれる底力を信じています!
どうぞこれ以上の惨事が起こりませんように・・・・。

2011/03/13

少しの協力でも!

事態が分かるほどに呆然となってしまう東北地震だが、今朝知人から下記メールが送られてきた。
緊急なのでそのままコピーする。少しの協力でも!との願いからだ。


・東北地震について"協力お願い"のメールを転送します。
 ご協力をお願いいたします。
 
 <お願い>
 
・電力会社で働いている友達からお願いのメールが入りました。
 
・本日18時以降、関東・東北の"電気の備蓄が底"をつきます。
 中部電力、関西電力、九州電力からも送電を行うようです。
・一人一人が少しだけの"節電"をお願いします。
 それだけで、東北、関東の方々の携帯等の充電により"情報"を得ることが
 できます。
 又、病院等での"医療機器"に使われ人命救助の手助けになります。
 
・こんな事くらいの行動しか、"祈る"以外はできません。
 もし、差し支えなければ、このメールを多くのお知り合いに送信して頂ければ
 大変嬉しいです。
・以上、お願いまで。


言葉を付け加えている暇はないので今回はこのまま公開します。祈りをこめて。

2011/03/10

例外の法則

ムッシューCはある特定の人々が大嫌いだ。その批判が始まると誰も口を挟めない。黙って弁熱が冷めるのを待つしかないのだ。これには理由があった。彼は若い頃一人で始めた不動産業で成功した人だ。街のあちらこちらにビルや個別アパートを所有し賃貸していた。一見優雅なこのビジネス、実は大変神経をすり減らされる仕事らしい。物件を買った当時は予想しなかった地区の変貌で借家人も変化し、場所によっては家賃収集に毎たび一苦労。どう催促しても払う気のない借家人には出てもらうしかないが、それがまた簡単ではないらしく、出た後始末にもうんざりさせられてばかり。一度その証拠写真を見せてもらったことがあるが、想像を絶するものだった。空になっているはずの住居内は大型ごみから生ごみまでのゴミだらけ。壁もキッチンもトイレもドロドロ。とても先進国とは思えない有様。嫌がらせに水道管を破壊され、ビル中大事になったこともあるらしい。これらの問題が全てある特定の人々によるものとなると、彼の嫌悪も無理ないように思える。結局彼はこのままでは神経が持たないと全ての物件を売り払い、数年前から50歳前にして引退生活を楽しんでいる。それでも彼の嫌悪感は消えることがない。「彼らとは一切関わりたくない」が彼の口癖だった。

ところがある日のこと、彼の家に訪ねていくと「特定の人々」であろう女性が彼とビリヤードをしている。初め彼の友人の連れかと思ったが、そうではなく彼の友人らしい。少々驚きだった。だがフランスの軍人であるその彼女はとても愛想がよかった。私は初めて出会った軍人の女性に好奇心満々であれこれ質問してしまったが、彼女は気持ちよく率直に答えてくれた。また彼女は彼女で日本人と接するのが初めてだったらしく、日本についても色々興味を持ってくれ、宗教についてもざっくばらんなお互い楽しい時間が過ごせた。ムッシューCも会話に入り、何だかご機嫌だった。

後日ムッシューCの熱弁がまた始まろうとした時、私は思い切って尋ねてみた。「むちゃくちゃに言うけどあなたのお友達はどうなのよ。ほらこの間の・・・?彼女はとってもいい人だった。」すると彼は一瞬のひるぎもなく飄々と答えた。
「あっ、彼女は例外。俺、彼らのことが大嫌いだけど、いいヤツはいいヤツって認める例外枠はちゃんと持ってるんだぜぇ。そうじゃないと不公平だろ。」
「なるほど。恐れ入りました。」
あれほど凄まじく批判していた彼の、私の知らざる「例外の法則」だった。博愛主義とは違う「例外の法則」である。

小さな四葉のクローバー
 民族が違う、宗教が違う者同士の歴史上の恨みは勿論、個人レベルでの恨みが絡むと尚さら水に流すのは容易なことではない。いつの場合もそれぞれにそれぞれの言い分があり、第三者が博愛論を押し付けて簡単に片付けられるものでもないと思う。だがそうした中でさえ、個々が「例外の法則」で目の前の相手を見ることが出来れば、いつの日か真の平和へ歩み寄れることへの期待が持てるように思う。

日本人同士でも同じことだ。人間は何かにつけて線を引き、自分と異なる人を異なるという理由で遠ざけてしまう。出身地の違い、職業の違い、同じ職業でも正社員と派遣社員の違い、同じ会社内でも合併や吸収後はその元の違いによっていつまでも融合が難しいのが現実だ。そんな様子を度々目にしてきたし、実際私自身に降りかかった経験も何度かある。そんな中でも「例外の法則」は無理なく使えるように思う。何より例外の枠を持っているというだけで心に余裕が出来る。周りに流されることなく飄々としていられるし、こちらの姿勢は相手にも影響を与える。次第にあったはずの線が薄れ、その仲間に入ってくる人々の線も薄れていく。人と人としての付き合いが自然に出来るようになれば素晴らしいことだ。有りのままの個人として見ることが出来る喜びは、有りのままの自分を見て貰える喜び以上のものがあるようにも思う。そこまで到達するにはまだまだ長い道のりの未熟な私めではあるが何かにつけて思い出す「例外の法則」であった。

2011/03/06

アルザスのコウノトリ

3月になると日没が6時半を過ぎる。それでもまだまだ気温は低く、曇・雨が続くある日の夕方、どんより重い空をびゅーんとコウノトリが横切った。戻ってきたのかな?今年初めて空で見るアルザスのシンボルだった。

コウノトリはヨーロッパで幸せを運ぶ鳥として、「くちばしに赤ん坊を下げて飛んでくる」「コウノトリが住む家には幸せが訪れる」など縁起がよいとされている。それで私は「幸の鳥」だと思い込んでいたが全くの間違いで、鸛・鵠の鳥と書く。日本では絶滅の危機に瀕した鳥として知られ、最近では兵庫県豊岡市で見ることが出来るようだが、こちらはニホンコウノトリで英語名を「Oriental Stork」といい、ヨーロッパのは「White Stork」と種類が違う。ヨーロッパのコウノトリの和名は「シュバシコウ」でくちばしの赤いコウノトリという意味。その名の通りヨーロッパのは赤いくちばしで、ニホンコウノトリは黒色。ややこしいようだが一般的にはその国の言葉で「コウノトリ」というと、その国に飛んでくる種類のコウノトリを指すようだ。コウノトリは英語でStork/ストーク、フランス語で Cigogne/スィゴーニュ。カタカナで書くと変だがフランス語ではかわいい発音の名前だ。

Cigogne/スィゴーニュは春夏をヨーロッパで過ごし、秋冬はアフリカに渡る渡り鳥だ。近代になって数が激減してしまい、保護の為にスィゴーニュ園や動物園で飼育されているものもいて、これらは旅をしない。身長1m、翼を広げると幅が2mにもなる大鳥で、鶴の繊細美や華麗美に比べるとダイナミック美。「美」というよりは「お茶目」という表現が似合う鳥だと思う。鳴き方も大胆。長い首をぐにゃりと弓なりに反らせ、カスタネットを連打したような「クラックラックラッ」という音を出す。これは「クラッタリング」という求愛行動で、くちばしを打ち鳴らしている音なので、実のところ鳴声ではないらしい。屋根や塔に大きな巣をつくり、雄雌で抱卵する。

Vosges/ヴォージュの山裾に広がる葡萄畑、その中に点々と現れる村々。色鮮やかな木組みの家の赤茶けた屋根、その高いところや教会の塔には Cigogne が大きな巣をつくり寛いでいる。よく見ると小さな赤ちゃんスィゴーニュがいたりする。最もアルザスらしい風景だ。

ある食事会の席でのこと、誰かが思い出したように言い出した。
「そう言えば新聞で読んだんだけど、ポーランドでCigogneのフォアグラが生産され始めたって知ってる?フランス輸出も狙ってるらしい。」
ポーランドもコウノトリが多く見られる国だ。またアルザスはフォアグラ(肥大させた鵞鳥や鴨の肝臓)の特産地でもある。
「Cigogneのフォアグラだって?あんな可愛い鳥をフォアグラに使うなんてひどくないか?」
「そりゃひどい。もともとフォアグラなんて鵞鳥や鴨の虐待じゃないか。Cigogoeにも虐待するのか。許せん!」
「確かにね・・・フォアグラ、だが旨い。それでもCigogneのフォアグラは食べる気がしないねぇ。」
「Cigogneがかわいそう」
皿の肉料理を次々に口に運び、美味しそうに食べながら、食事会の全員がCigogneフォアグラに大反対だった。我等のCigogneをどうする気か!怒りがぐんぐん高まったところ、誰かがふと、
「もしかしてそれ、エイプリルフールじゃない?」
「いや、数日前の地方紙「アルザス」に載ってた!・・・・あれ?4月1日の記事だったっけ。」
ヨーロッパでは4月1日エイプリルフールに各新聞がまことしやかな大嘘記事を載せる。
「やられたなぁ、Cigogneのフォアグラなんておかしいと思った。」
先ほどまでの激しい怒りはテーブルを揺るがすほどの大爆笑に変わった。流石アルザス、Cigogneへの愛情は強い。それを知ってのアルザスらしいエイプリルフールの記事だったのだ。

2011/03/02

女の一生

恥ずかしながら私はモーパッサンの「女の一生」を読んだことがなかった。悲しい話というのは知っていて、それが「女の一生」というので敬遠していた。私は運命に強く立ち向かって行くヒロインが好きだ。倒れてもその土を掴み天に突きつけて、「神様が証人だ。私はもう二度と飢えたりしない。どんなことをしてでも生きのびていく。」と誓うスカーレット・オハラのようなヒロインは読んでいて元気になれる。

ところが機が熟した。ここはフランス、日本語の本も英語の本も手に入らない。フランスに住んでフランス語をかじり、かの有名なモーパッサンの「女の一生」を読んだことがないでは女が廃るので読むことにした。とカッコつけても仕方がない。正直に言うと、本屋をぶらついてら「女の一生」3.3ユーロと手頃価格の文庫本を見つけ、おまけにそれほど厚くなかったので買ってしまったのだった。

まだ手に取ったことのない方、昔のことですっかり忘れてしまった方のため、簡単にストーリーを。

男爵の娘ジャンヌは女学校卒業後、牧師や両親の見繕いのまま伯爵のジュリアンと結婚する。当時の上流階級の一般的な結婚であり、強い恋愛感情はないもののコルシカへの新婚旅行までは幸せだった。ところがこの夫、タイトルはあってもお金がなく、大ケチで浮気性、ジャンヌの資金を牛耳り、その上ジャンヌと姉妹同然育った使用人ロザンヌに手を出して、子供まで生まれる。父親が誰だか知らずにジャンヌはロザンヌを庇うが、真実を知って人生への活力を失ってしまい、無関心になることで現状を保ちつつ暮らしていく。結局夫ジュリアンは事故(実際には浮気相手の夫の殺人)でこの世を去り、ジャンヌは残されたひとり息子ポールに没頭する。甘やかされて育ったポールは成人しても浪費を重ね、送金し続けるジャンヌは資産を使い切ってしまう。最後は幸運にもロザンヌに助けられ、ポールの生まれたばかりの娘を引き取ったところで話は終わる。
「人生は思うほど良くもなければ悪くもない」が物語最後のフレーズだ

波乱の人生ではあるが、運命に流される女性像は予想通りの悲しい、女性としてはやるせないストーリーだ。そうは言っても私の稚拙なフランス語、辞書を引き引き筋をたどるのがやっとだから、モーパッサンの文才を味わうなんてとんでもない。1883年発表当時はスキャンダルになったらしいが、女性は女性でしかなかった時代の物語で、女性の自立の歴史はヨーロッパと言えども浅いのだなと思ってしまった。ただ女性論は別にして、1つ大変感心したことがある。タイトルの日本語訳についてだ。驚くことに実は「女の一生」はフラン語で「女の一生」ではなかった。"Une vie" 英語にすると、"A life"。通常誰かの人生の物語という場合 "The life" となるように、フランス語でも定冠詞が使われると "La vie" となる。Une は英語の a と同じで特定しない、一つのという不定冠詞だ。だから "Une vie" を日本語に直訳すると「ある者の一生」となる。原作には "L'humble vérité"/取るに足らない真実 というサブタイトルがついている。
私が感銘を受けたのは、この「女」のない "Une vie" を「女の一生」とズバリ言い切ってしまった翻訳者の感性と潔さである。実際この物語は「女の一生」以外の何物でもない。

外国語をかじって初めて気づくことだが、翻訳は理解とはまた別の才能が必要だ。原作を充分理解した上で、文化、思考がこれだけ違うヨーロッパ語を日本語に訳す場合、1+1=2になるとは限らない。全く違う言葉が表現にぴったりくることも多く、それを一文ずつこなしていく翻訳は地道で、両方の言語は勿論、幅広い知識と感性が問われる。読者には作者の黒子になりきる地味な存在でありながら、翻訳次第で作品への感想が大きく変わりかねない大変な仕事だと思う。英語教育の前にしっかりした国語力をと言われる今日この頃でもあるが、粋な訳を見つける度、私は高度な語学力を持つ翻訳者の、それ以上の国語力に感銘を受けるのだ。