2011/12/29

年の暮

ヨーロッパでの大晦日と新年はクリスマスからの不摂生の延長で、ぐーたら突っ走ってしまうのが恒例だ。だから年末大掃除なんていうのも特にない。感覚としてはクリスマスで年の区切りが付いた感じ。日本の正月三箇日気分がクリスマスからずっと続いて、大晦日の年越しパーティでその締めの大騒ぎをし、元日はゆっくり寝て2日からの仕事に備えるというのが一般の過ごし方のようだ。

ヨーロッパに浸りきるのが好きな私だが、これだけはどうも馴染めない。新年をぐーたら迎えるわけにはいかない!と焦ってしまう。年末しっかり埃を落さなければ、翌年の良い運も逃げるような気がしてしまうのだ。「文化の違い」ですまされることではない。普段はぐーたら怠け者の私が年末に限り奮起して大掃除を始める。それを見たフランス人達は当然吃驚する。ヤギってきれい好きだったっけとフォアグラやキャビアや七面鳥の食べ過ぎでどんよりした頭に?を描いて肩をすくめられたこともある。
ある時、この寒いのに何でまた?と尋ねる隣人に話したことがある。日本では1年の汚れをきれいに落して新しい年を迎えるのが習慣であること、正月は日本人にとって大切だが、食べて飲んで楽しむだけでなく、「一年の計は元旦にあり」とも言うように、1年の抱負や計画などを考えるいい機会にもしていると話すと、日本の文化に特に興味があるわけでもない隣人だったが、意外にもひどく感心されてしまった。クリスマス中、食べて飲んで体重が気になり始める年の暮でもあったから、私の話が新鮮に響いたのかもしれない。「日本のフィロソフィー(哲学)は素晴らしい。そうだ運動不足だし、これから家の周りの掃除でもするかな。」とすっかりその気になってしまった。実を言うと、感心したのは私自身でもあった。それまで当たり前すぎた年末と正月の習慣に、海外の地で文化の全く違う人に説明しながら、初めてその素晴らしさに気付かされたのである。
ただ義務的面倒くさかった年末掃除、その年に起こった良い事、悪い事に感謝や反省をしながら汚れを落していって、すっきりきれいな清々しい気分で元日を迎える、そういうことだったのかと理解できるようになった近年である。

今年も思いつく限りをきれいにした。
来年もまた、1つでも多くの良い事が訪れますように。
そして辛い事はそれを乗り越えられる強さが備わりますように。
皆様のご健康とご多幸を願いつつ

さぁ、2012年へ、

2011/12/23

クリスマス・イルージョン --イギリスのクリスマス--

ロンドンに行って初めてのクリスマスのことだ。「ヤギは夢を追いかけてロンドンに行った(実際はそんな大げさなものでは全くない)、今頃本場のクリスマスに浮かれて、はしゃぎまわっとうよ。日本は平日、しかも残業だって言うのに!」日本の友人達は羨ましく忌々しく思っていたらしい。ロンドンで、私もそのつもりでいた。ところがである。クリスマスが近づくにつれ、ヨーロッパのクリスマスは家族と過ごすのが基本であること、25日はロンドンの街全体が休みとなり、地下鉄、バス、列車と公共交通機関も全部運休することを知った。なんてこった!急にクリスマスの華やかさが惨めさを浮き立たせるだけのイルージョンに見え始めた。どうせ私はこの都会に住む外国人。

そんなクリスマス前のある日、フラット(アパート)で日本人同士話していると、友人が言い出した。
「私、クリスマスの飾りって嫌いなんだよね。特にほら、近所の家の前のキラキラしたの、私達はこんなに暖かく幸せよって見せつけられてるみたいでさぁ。」
それぞれ初めての外国暮らし、楽しいといいながら気張ってもいたのだろう。イギリスに居ながらイギリス人社会には入れない、留学生特有のもどかしさを痛感し始めた頃でもあり、皆感じていることは同じだった。
「かえって悲しくなっちゃうよね。マッチ売りの少女みたいな気分。窓の外から眺めるだけ。」
この一言は胸にぐぐっと刺さった。「やめてよー、涙が出てくるじゃない!」
みんな一気にセンチメンタルになってしまい、言葉が消えた。しばらくうるうるした後、やっと一人が口を開いた。
「じゃあさ、いっそやっちゃう?」
「何を?」
「マッチ売りの少女だよ。一番きれいな飾りの家選んでさぁ、窓に並んで中をのぞいてたら、かわいそうって中に入れてくれて、ご馳走振舞ってくれるかもよ。」
「何言ってんのよ。『かわいそう』には私達太りすぎよ。」
「ロンドンの住宅地で変な東洋人が窓にへばり付いてんの?怪しすぎる。マッチでも擦ろうもんなら警察呼ばれるだけだよー。」
センチメンタルは脱し、コメディになって笑いが出てきた。

その後結局フラットの住人7人とも、イギリス人家庭からクリスマスディナーのご招待などなく、全員予定なしのクリスマスだと分かった。それなら、と皆で大家に交渉して共同キッチンをディナー会場にする了承を得、悪戦苦闘ながら自分達で七面鳥を焼いてイギリス式クリスマスディナーを作った。デザートはもちろんクリスマスプディング、誰かが近くのスーパーから買って来た。ローストターキーの作り方なんて誰も知らなかったが、幸い私が数日前見たTVの料理番組が役立ち、出来は上々だった。大変口うるさい大家もかわいそうな留学生達と思ったのか、当日ワインの差し入れまでしてくれた。

ということで期待とは全く違ったが、楽しいクリスマスとなったのだった。今でも青春の1ページのような思い出のひとつである。

2011/12/18

クリスマスツリー --- アルザスのクリスマス ---

サンタクロース、クリスマスマーケットの次となると、やはりクリスマスツリーかなと思うのだが、その前にインターネットから得る「情報」についての所感を一言。何かを調べようとする時、インターネットは大変有難い道具で必需品だ。座っているだけで歴史にしろ現代の様子にしろ、世界中のありとあらゆる情報が手に入るのだから、こんなに便利なものはない。ところが実際に使い始めてふと気付く。「いったいどの情報が正しいか」ということだ。確実性の基準がない。                  例えばクリスマスツリーの歴史を知りたくて検索してみる。検索に「クリスマスツリーの歴史」と入れてEnterを押せばよいだけだから簡単なのだが、337万件もの情報が現れ、最初のページの数件だけでもそれぞれ微妙に情報が異なる。おまけに同じ意味でも検索を「History of the Christmas tree」や「Histoire du sapin de Noël」 など言語を変えるとそのバラエティは更に広がり、お国柄なども表れてくる。だがそれらの情報、どこまで信頼性があるのだろう?
ネットでは誰でもが何でも言える状況だ。そんな中、ウィキペディアを主にした検索結果の寄せ集めに過ぎないが、今回はクリスマスツリーについてまとめてみたい。

起源は古代まで遡るようだ。北欧に住む古代ゲルマン民族「ユール」が冬至の祭りに使っていたともされている。民族の祭りの習慣は長い年月を経る間にキリスト教と混淆し、所謂クリスマスツリーとしては1419年にドイツのFreiburg/フライブルグでパン職人の信心会が聖霊救貧院にツリーを飾ったという記録が最初とされている。またドイツ人のMartin Lutter/マルティン・ルター(1483-1546)によってツリーに蝋燭が飾られるようになり、宗教改革と共に各地に普及していった。1510年にRiga/リガ(バルト海の入江に臨むラドヴィアの首都)で、1521年にはアルザスのMulhouse/ミュルーズで、1546年には同じアルザスのSelestat/セレスタで記録が残っている。なるほどMulhouse/ミュルーズについては現在もカトリック国フランスには珍しく、宗教改革の影響を受けたプロテスタント地域である。また12月21日と日付のあるセレスタの文献には、村の森に飾られたツリーを監視するため、森の番人に賃金が支払われたこと、ツリーを切る者には誰であれ罰金を課すことが記述されているそうだ。
余談だが、1521年はルターが宗教改革の文書の為、カール5世から国外追放された年でもある。

時代は少し飛ぶが、アメリカ合衆国での最初のツリーは1746年、ドイツ移民によって飾られた。当時はイギリス系清教徒から「異教の文化」と反発されたりもしたというから、同じキリスト教ながら面白い。イギリスに入ったのはヴィクトリア王朝時代(1837-1910)だ。女王を公私共に支えた夫のアルバートがドイツ出身であったことかららしい。ちなみに日本では1860年、プロイセンの使節オイレンブルクが公館に飾ったクリスマスツリーが初めとされている。                                       さて最後に現代のクリスマスツリーについて触れておこう。長い伝統からヨーロッパでは本物の樅の木が良しとされていて、今でも毎年11月末には樅の木屋さんが空地に現れ、大小の樅の木(その多くは東欧から)を売っている。風情ある伝統だが反面、エコ活動が進む現代に適していないと大きな議論にもなっている。問題は特にクリスマス後だ。昔は何のことなくそのまま焚き火にでもなっていたのだろうが、現代ではその焚き火が田舎でも勝手に出来ない。都会ともなればゴミ出しに大事で、市のゴミ回収車もお手上げとなっているのが現状だ。

変わらぬ伝統を重んじるか、伝統も時代の流れと共に変化していくべきなのか、クリスマスツリーに限らず難しい問題だと思う。何事も最も困難なのはそのバランスかもしれない。


2011/12/12

クリスマスマーケット --- ドイツ vs アルザス ---

クリスマスマーケットはドイツの風物詩として知られている。11月後半からクリスマスまで街や村の中心広場に木作りの小屋がいくつも設置され、それぞれにクリスマスツリーの飾りやキャンドル、工芸品やお菓子などのマーケットとなる。その中でも名物はホットワインだ。シナモンなど香辛料の入った暖かいワインで、クリスマス柄のマグカップに入れて出される。これを飲めば寒さも忘れ愉快になるという訳だ。またお腹がすけば焼きたてソーセージが待っている。パンに挟んだサンドイッチもいいし、ザワークラフトとの相性も抜群だ。ますます愉快になること間違いなし。流石ドイツ、こうなるとやっぱりビールとなる人も多い。マーケットだから飲んだり食べたりも立ったままでいすなどないが、それがまた良いといった感じだ。昼間はもちろん、暗くなると照明が更に雰囲気を盛り上げ、毎晩遅くまでにぎわっている。

昔Nürnberg/ニュルンベルグというドイツの街に滞在したことがある。それまでこの街がナチスの本拠地だったことを知らず、恥ずかしながらニュルンベルグ裁判が何の裁判かも良く分からなかった。
第2次世界大戦時に街全体焼け野原になったが、戦後見事に修復され、旧市街はまさに中世おとぎ話のような街だ。クリスマス前には市庁舎広場に大規模なクリスマスマーケットが開かれる。お祭り気分でクリスマスツリーの飾りを見て回るだけでも楽しい。現実にはそのほとんどがMade in Chinaと知ると興ざめもするが、食べ物に関してはローカルなものである。この時期ならではのシュトーレン(ドライフルーツやナッツの入ったパン)や郷土菓子のニュルンベルガーレープクーヘン(まるぼうろのドイツ版のようなお菓子、ヨーロッパ最古のお菓子とも言われる)、地元産の蜂蜜やジャム、切り売りのベーコンやチーズ、シナモンをはじめ香辛料の入った紅茶など食べてみたくなるものばかり飽きることがない。Nürnberg/ニュルンベルグのクリスマスマーケットは1628年からと歴史も古くドイツを代表するもので、この時期は世界中から観光客が訪れる、と知ったのは随分後になってのことだった。

 さて今回調べていて始めて知ったのだが、Nürnberg/ニュルンベルグより古くからのクリスマスマーケット、それがアルザス、ストラスブールのクリスマスマーケットだった。1570年に始まったとされ、当時はMarché de Saint Nicolas/サン・二コラマーケットであったようだ。残念ながら私はストラスブールのクリスマスマーケットに行った事がない。だがアルザスではドイツと同じくどこの村でも Marché de Noël/マルシェ・ド・ノエル(クリスマスマーケットのフランス語)が開かれ、それぞれに趣がある。
中でも素晴らしいのはColmar/コルマールのクリスマスマーケットだ。中規模のものが数箇所に分散されていて、街の観光もかねながらゆっくり楽しめる。通常ホットワインは赤だが、Colmarではアルザス白ワインのvin chaud/ヴァン・ショ(ホットワインのフランス語)があるようだ。TVのニュースで「魔法の1杯」と紹介されていた。トリックは香辛料と蜂蜜と沢山のAmour/アムール(愛)・・・流石フランス・アルザスである。


コルマールの観光サイトを見つけたのでご参考までに。フランス語(英語切り替えOK)で、
左下の写真(Images 2011)をクリックすると数々の写真を見ることが出来る。
また中央の下の写真の>を押すと全国版ニュースで紹介された動画が始まって、「魔法の1杯」が見れます。
http://www.noel-colmar.com/fr/

2011/12/03

サン・ニコラの日 --- アルザスのクリスマス ---

アルザスに来て間もないとある冬の日、車での帰宅途中、既に暗くなった田舎道からちょうど村にさしかかる辺りでのことだった。暗闇の中、小路からにゅーっと大男が現れ、私達の車にはっと躊躇したものの、のっそのっそと横切ってまた闇の中に消えていった。
「サンタクロース!」助手席にいた私は叫んだ。愛嬌なんぞなかったが、全身を覆う赤いガウンに白いひげ、紛れもない。
「サンタクロースじゃない。あれはサン・ニコラ!」すかさず運転席から更にデカイ声が飛んできた。
「あぁ冷やっとした。サン・ニコラを轢いたら大変だ。だがありゃ飛び出したあっちが悪い。」
「フランス版サンタクロースがサン・ニコラ?」
「違う!サンタクロースはサンタクロース、サン・ニコラはサン・ニコラ、彼は杖を持っていただろう?それに今日はクリスマスじゃない!そうか・・・ということは12月6日か?いかん、マナラを食べる日だ。パン屋はまだ開いてるかな?」
私がよく理解できなかったのは言葉のせいではない。アルザス人にとって子供の頃から誰でも知っているジョーシキはとっさに聞かれても、分からないことが分からないらしい。よって説明がますます分からないものとなる。ということで、まずパン屋でマナラを買って家に帰り、ショコラといっしょに一服できるまで謎解きは待つことにした。喧嘩回避策でもある。

アルザスでは12月6日をSaint Nicolas/サン・ニコラの日といって祝うのが伝統だ。Saint Nicolas/サン・ニコラはローマカトリック教会の聖人で、西暦270~345年実在した人物らしい。常に子供を保護したことから子供の守護聖人として崇められてきた。サン・ニコラを祝うのはヨーロッパでもオランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、フランスではアルザス・ロレーヌ地方、スイス、ドイツ、オーストリアなどで、国や地方により伝統は多少異なるようだ。
アルザスのサン・ニコラは片方の手に杖を、もう片方の手にクレモンティンヌ(みかん)を持って現れ、良い子にしていた子供達みんなにクレモンティンヌやマナラを与える・・・ということで、車の前に現れた大男は12月6日仕事前のサン・ニコラの姿だったことになる。そしてこの日はMannala/マナラという人形の形をした素朴なブリオッシュをショコラ/ココアにつけて食べるのが伝統だ。
Mannala/マナラは「小さな善人」というMulhouse/ミュルーズ周辺(南部)のアルザス語だが、Strasbourg/ストラスブール周辺(北部)になると、Manneleとなるようで、残念ながら正確な発音は分からない。同じアルザス語でも北部と南部では微妙に違うと前に聞いたことがある。

さてでは英語のSanta Clause/サンタクロースとは?という疑問が湧いてくる。サンタクロースはオランダ語で言うSaint Nicolasの「シンタクラース」が語源で、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝えたことから始まったらしい。だが所謂サンタクロースが広まったのは19世紀になってから。ニューヨークの神学者クレメント・クラーク・ムーアが病身の子供のために作った詩がはじめとも言われるが、実際には色々説があるようで明確ではないようだ。ただこの頃からアメリカの絵本や詩にトナカイが引くソリに乗ったサンタクロースの姿が描かれるようになり、全世界に広がっていった。
ちなみにフランスではサンタクロースのことをPère Noël/ペール・ノエルという。妙な繋がりだがサン・ニコラとは別物になり、現れるのは12月24日、よってフランスの子供達は12月6日にサン・ニコラから、12月24日にはペール・ノエルからプレゼントがもらえることになる。プレゼントといってもサン・二コラからはバラエティに富んだ現代でも、もっぱらお菓子のようだ。

昨年の12月6日はMulhouse/ミュルーズのデパートにもサン・ニコラが現れた。バスケットいっぱいのマナラを一つずつ、子供だけでなく通りがかりのお客みんなに配ってくれた。手のひらサイズのマナラとは気前が良い。だが日本のようにビニールに入ってリボン付きなんてことはなく、そのままが手渡される。もらったら、口に運んで食べるしかない。デパート内だけど・・・周りを見渡すとそんなことはお構いなし、誰も彼もがマナラを手にし口にし、ぶらぶらしている。これもアルザスならでは光景かなと微笑ましく思いながら私も可愛い「小さな善人」を頭からぺろりと食べてしまった。