その友人のもうひとつのお勧めが「博多ライトアップウォーク」だった。秋の夜、ライトアップした博多の寺を巡るというイベントで、その期間のみの特別拝観もあるということだった。昼と夜では全く別世界よと彼女は言った。是非行ってみたいと思いつつ数年経ってしまったが、今年こそはと「博多千年煌夜(とうや)」を散策しに出かけた。
通常は拝観無料の各寺だが、イベント期間中18:00~21:00の間は6枚つづりの入場券を購入し、一か所一枚づつのチケットが必要になる。
まずは大博通りに面した東長寺から。普段は人通りの少ない休日の夜の大博通りだが、この日は東長寺に近づくとすでに人だかりがしていて、お祭り気分になってくる。
中に入ると五重の塔が赤く浮き立っていた。本堂もライトアップされ、いつもより大きく荘厳に見える。庭の細やかな部分にもライトデザインがなされ、特別拝観の六角堂は並ばなければならないほどの賑わいだ。灯りに浮かび上がった弘法大師も喜ばしげだった。
東長寺を後に裏手に回り、聖福寺横の妙楽寺、順心寺を参拝する。昼間はなんてことのない寺門までの通りも、やわらかな灯りで彩られ、土塀には山笠のライトアップ、穏かな気温で待ち時間も全く気にならなかった。
承天寺の前「御共所夜市」では、うどんやそば、饅頭が並んでいた。これらの発祥の地であることに因んでだろうか。雰囲気と匂いに小腹が空く。
博多山笠発祥之地ともされる承天寺ではこの日、特別拝観で洗濤庭(せんとうてい)の美しい石庭を本堂から眺めることが出来た。靴を脱いで廊下をまっすぐいくと、目の前に青から紫へと変化する光の石庭が広がる。その幻想的な美しさには思わずため息。座り込んで暫らくぼーっと何も考えずに眺めていたくなるが、その前にまず写真。方丈の縁にずらりの座った人々が、石庭を前に皆それぞれ携帯の画面を覗き込んでいる姿はこれまた現実的な光景だった。案内板の説明には「方丈手前には玄界灘を表現した白砂、奥には中国に見立てた緑庭が広がる洗濤庭、穏かにそして時に激しく・・・玄界灘の波の力強さと白~青~ムラサキへと穏かに変化するグラデーションで表現。幻想的な色彩のハーモニーが、大陸と博多の交流の歴史を今に伝えます。」と書いてあった。ふと記された照明協力企業名に目が留まる。「デンコウ・・・」懐かしさと共に、もうすぐ消えゆくこの標記へのやるせなさが込み上げた。
激しい時代の波が押し寄せているのは玄界灘でも石庭でもなく、日本企業。兄のプライドだの方針が違うだの言ってられるご時勢ではないのだろう。大きな波に乗って同胞溶け合い強みを集結し、日本ブランドとして世界に打って出なければ、情け容赦ない弱肉強食のグローバル世界だ。そうは言っても社会人生みの親のアイデンティティが溶けゆくのは寂しいものだ。いったい昨今の日本、現役も引退も中途退社も含め、どれだけの企業人が同じような思いを噛み締めていることだろう。 青いブランド名の下の社名を見つめながら、穏かで優しく、活気があったあの頃にノスタルジーを感じる。
青紫のライトアップが途端に諸行無常の流れに思えてしまった夢の如き秋の夜だった。