「今頃どの辺りだろう」
M氏を想う時、私はいつも七つの海に想いを巡らす。
旅好きだった故人を偲ぶにはロマンがあって、想像が広がる。
遥かな海を航海中、だがメキシコ湾流に乗って意外と近くにいらっしゃるのかも・・・ダブリンでカモメの鳴き声を聞きながら、ふと思ったこともある。
「海に撒いて欲しい」
「何で?」と尋ねる夫人に
「そりゃあ、気分が良いじゃないか。それに海なら世界中何処にでも行けるよ」生前M氏はこう答えたらしい。
初めから賛成だった訳ではない夫人だったが、海へ旅立ちの時には、ポルトガル旅行の思い出であったエンリケ航海王子の帆船を手作りして見送ったということだった。なんて粋な船出だろう。氏がエンリケ王子の船の帆を張って、大海をぐんぐん進んで行く様子は想像しただけで楽しくなる。
氏の心意気に夫人の優しさ、私にとって永遠のベストカップルである。
私が実際M氏にお会いしたのは一度きり、フランクフルト空港で日本への便を待っていた時だった。
ふとした事から会話が弾み、何故だか住所を交換し、そして手紙を書くようになった。
「又、お手紙ください。貴女の手紙は味が良くて楽しい」という褒め言葉にすっかり気を良くしてしまったのが正直なところだ。旅行好きという共通点以外、お互いのことは何も知らなかったが、だから思ったままを素直に書けた。そしてそれを夫人と共に読んでくださり、面白いと感じてもらえたと分かると、無性に嬉しかった。いつの日か大好きなアルザスを案内したいなぁ・・・だがM氏の旅立ちは早すぎた。今年で7年になる。それでも今、氏の存在は過去のものではない。航海中なのだ。
世界中何処にでも行けるから、世界中何処にいてもお見通しとなる、そんな気がしている。
今年始めのことだ。久しぶりに声を聞いた夫人から、いきなりブログを勧められた。ちょうど私はアルザスで、自分の日本語に不安を感じ始めた頃だった。1年以上全く日本語を使わない生活をしていると、たまに日本へ電話をした時、言葉がスムーズに出てこなくなる。ブログは日本語の良いリハビリにもなるなと、思い切ってやってみることにした。アルザスについて、とにかく手紙を書くように書いてみよう。そうだ、あの頃のように・・・。始めてみると、自分でも不思議なくらい次々に書きたいことが浮かんできた。「その調子、次も楽しみにしてますからね」夫人の支えは大きな原動力だった。単調になり始めていたアルザスでの生活が、活き活きと輝きを復活した。写真も撮りたい。毎日が急に忙しく、楽しくてたまらなくなった。その上ブログのお蔭で、気になりつつご無沙汰していた方とやりとりが出来たり、新しい友達が出来たり、嬉しいハプニングも起こった。日本に帰国しても日本語がスルスル問題なく出てきた。
先日何年もぶりに夫人と再会し、博多の街を案内することが出来た。M氏の妹君とは待望の初対面だったが、不思議と‘初めて’な気が全然しなかった。
「それにしても女同士、よーしゃべっとる。」
全てお見通しのM氏とはいえ、ここまでとは想定外だったかもしれない。
生憎の雨も「より良い情緒」に変えてしまう天性の旅上手な夫人と妹君、案内するつもりがいつの間にか、私自身がすっかり楽しんでしまっていた。何を見ても楽しい学生時代の旅行のようなエキサイティング感さえ漂っていて、これぞ旅上手のエスプリなのかもしれない。
最後の夜、博多の街は灯明ウォッチングの催しで彩られていた。東長寺本堂、間近でみる山鹿踊りの幻想的な灯篭の中、私は静かに手を合わせ、この不思議な縁に心から感謝した。