2011/08/13

オーストリアへ ウィーン

ついに最終目的地、ウィーンに到着。アルプスや山間の村、古都も良いが、都会も良いなぁというのが正直な感想だった。甲乙なんてつけ難い。言い方を変えれば、それだけウィーンには都会としての美しさと魅力があるということだ。ロンドン、パリのように大きくはないが、音楽、芸術、歴史、食とあらゆる方面で、通の人々にも充分な刺激を与え得る上質なものが凝縮している。それでいて大都会の齷齪さがなくゆったりとして、その雰囲気が街に優雅さを与えているように思える。これもハプスブルグ家栄光のシンボルということだろうか。

さてハプスブルグと言えば、「戦争は他家に任せておけ、幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」と家訓にある通り、その栄華は16人の子供を産んだ女帝マリア・テレジアにも代表されるが、結婚政策にあった。マリア・テレジアの娘で、フランス最後の女王となったマリー・アントワネットについては日本でもよく知られている。また半世紀以上後になるが、本家本元オーストリア帝国では、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世にドイツ公家から嫁いだ皇妃エリザベートが有名だ。古い映画になるが、ロミー・シュナイダー主演の「シシィ」がヨーロッパを一世風靡したこともあり、今でもシシィ(エリザベートの愛称)の人気は衰えることがないようだ。ハプスブルグ家から嫁いだマリー・アントワネットとハプスブルグ家に嫁いだエリザベート、どちらも次々と社交界の流行を創り出し、伝説の美貌を持つ女性で、当時も今も女性としての賞賛の対象だった。だが、「ヨーロッパ」をひとくくりにしてしまう日本人感覚からは理解しにくいが、他国から来た「よそ者」でもあった。
そのことに気付かされたのは、日本でフランス語の先生と話した時だ。彼は日本におけるマリー・アントワネットの人気が理解できないと言った。フランスにおいてはそれほど人気があるわけではないらしいのだ。はじめ私にはそれが理解できなかった。フランス最後の女王だというのに?だが彼曰く、彼女はオーストリア人であり、フランス人ではない。贅沢三昧をし過ぎ、フランス民衆の敵となった人物ではないか。確かにその後フランスでも、彼の言を思い出させられるような意見を聞いた事がある。マリー・アントワネット自身も一生ハプスブルグ家を強く意識し、それだけにフランスが冴えなく映ったりもしていたようだ。一方ドイツ公家から嫁いだエリザベートは厳格なハプスブルグ家にしっくり馴染むことが出来ず、孤独感を紛らわすべく、旅行ばかりをするようになる。皇帝の深い愛情にもかかわらず、幸せだったとは言い難い人生だったようだ。どちらも時代は違うが、「一人の人間としての幸福を求める」など考えすら及ばなかった時代の女性の宿命だったのだろうか。結婚にしろ、出産にしろ、それが国の行く末を左右するという重い使命を持ち、それでいて大きな時代の流れの前には無力でしかなかった。

政略結婚と言えば日本の歴史も例外ではない。日本が勢力を伸ばしていた時代、公家令嬢、浩という日本女性が満州国最後の皇帝愛新覚羅溥儀の弟溥傑に嫁いだ。波乱に満ちた時代に翻弄された人生である。だが政略結婚でありながらも、お互い2人の間に芽生え、大切に育まれた普遍の夫婦愛に、私は感銘を受けずにはいられなかった。
ドイツにいた時のこと、時々行った中華料理のレストランで、オーナーの中国人マダムと中国のラストエンペラーについて話をする機会があった。私が弟溥傑のことに触れると、彼女はそうそうと首を縦に振り、「私、若い頃、夫妻に会ったことがあるの」と言い出した。
「ちょっと待ってて」レストランの上階にある自宅に戻って1枚の写真を持ってきた。
彼女は昔ドイツに移住する前、中国のホテルで働いていたらしく、そのホテルに溥傑夫妻が休暇で宿泊客として滞在したことがあり、その写真はスタッフの一人がいっしょに写ってもらえませんかと頼んで撮ったものらしい。老夫婦は若い制服姿のスタッフ達に囲まれ、朗らかに見えた。どんな人だったのかという私の好奇心に、彼女は何十年も前の鮮明な記憶を辿ってくれた。
溥傑の妻が日本人であることは当時の彼女も知っていたが、とても日本人とは思えない普通の中国人のようだったらしい。2人とも目立たないが感じがよく、スタッフにも親切で、写真の申し出も快く受けてくれたとか。何より2人の仲睦まじさが印象的だったと彼女は繰り返し言った。 

運命とは異なものだ。何をどうしたからどう転がって、どういうことになっていくのか誰にも分からない。個人の資質や努力とは関係ない大きな力に流されることも多々ある。運命を創っていけるほど人間は強く出来てはいないのではないか。最近ではそのようにも思える。ただ避けることの出来ない大きな波をどう捕らえ、向き合っていくか、結局その姿勢の足取りが人生というものなのかもしれない。
今も昔も、歴史上の大人物にとっても、唯の人にとっても、人生とは修行であることに変わりはないようだ。

3 件のコメント:

  1. シャイやぎさん
     PCはお休みだから、キットと、待ってマシタァー!!
    ホント!ウィーン!!って、素晴らしい仰せの通りです。
    3回ほど行きましたが...
    ニューイヤーコンサートの定番、「美しく青きドナウ」の曲に乗って流される街並み..以前ウィーン楽友協会の一等席で聴いたウィン・フィルの演奏を懐かしく想い出しつつ、いつもウットリ(=_=)

     (__)ごめんなさい、やぎさんチに上がりこんで、長居をさせて頂きまーす。 途中で追い帰さないで頂戴ネ( ^)o(^ )

    「運命」と「宿命」は、難しい課題ですねー
    でも避けては、通れない修行の道!なのかも知れませ~ん。
    修行と云うと物凄く厳しくて、「
    「もうそんなんシンドイワ そんなんだったジンセイヨウセンワ!!」

     生まれて20年は、寝てるんだとか、20歳までは、親にお世話になってるゥー「さあーこれからは自分で人生ダ!!」と自活していくには、大分歳を重ねてからのように思いますワ(個人差アリ)

     はじめは、人生の希望がボンヤリながらあっても、ナカナカその通りには行かず、意に反して明後日の方向に...方句違いでもその間は自分なりに努力?してきてるんデスウ(コレガシュギョウかな?)

     その間、楽しい事ばかりはなく、苦しくて自己嫌悪に陥っても
    一旦それを自分なりに乗り越えれば、それからの道は、自分なりに通れます。(そんなに深刻?にならずとも)

     まあ人生終わるとき、良いこと、悪い事 半々らしい??とか
    気楽に過ごしてゆきたいと、おもう今日この頃ドスエー

     先日、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を聴きました!!
    その説明書きにこんな事があったので、引用させていただきますネ

    「運命よ、汝の力を示せ。我々は無力だ。運命によって決められた事は、そうなる以外にはないだろう...しかし私に出来ること、それは運命以上になることなのだ。」

     ベートーヴェンの場合、悲運や困難は克服すべきものとされてた。現実に理不尽な運命に、怒りの声をあげたんだそうですワ

    なるほど 分かりましたワ 
    あの冒頭の「♪♪ダダダダ~ン! ダダダダ~ン!!」

     長くなりごめんなさい(#^.^#)

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  2. ついし~ん!デス

    あっ、この花火ですね! 綺麗に撮られてますワ!(^^)!

    只今!満月眺められましたヨ~ン 暑そうなお月さまの感じヨ

    人生終わるとき、良いこと、悪い事 半々って事
    前にもココデ書かせてもらいましたネー(^v^)

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  3. 珍竹林さん
    読み応えたっぷりのコメントありがとうございます。
    ブログ本体にそのまま引用させていただきたい感じです。

    3回も!でも分かります。ウィーンはその魅力充分ですもん。ニューイヤーコンサートは羨ましい限りです。冬のウィーンもキンキン寒くていいだろうなぁ。

    私はクラシック、初歩にも到達していないくらいなのですが、何かの映画で、「ベートーベンを選ぶなんて、君はクールに見えて実は情熱的なんだね。」というせりふがありました。そうなのかぁ・・・・とそれからベートーベンを聞いていると確かに熱いものを感じるように。

    人生には良い事と悪い事と半分半分、覚えてます!
    以来、悪い事があると、その分良い事もあるぞって思うようになりました。良い事があると、前に悪い事があった分だぁって、素直に喜ぶようにも。
    半々っていいですね。

    花火、そうです!1時間、シャッターを切ってばっかりでした。でも使えるのはこの1枚だけだったのです~!

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