2012/02/01

アリとキリギリス

「アリとキリギリス」はイソップ寓話の中でも特に知られたストーリーだ。「勤勉を怠るな」という教訓は子供の頃は元より大人になっても例え話によく登場する。
昭和末期から平成初期、経済大国に伸し上がった日本人は世界からWorkaholic/ワーカホーリック(仕事中毒)などと詰られ、「働き蜂」や「蟻」に喩えられて嘲笑され、自らもそんな蟻人生で幸せなのかと疑問に持つようになったが、今から見ればバブル時期、「夏」の季節だったのだろうか。私の周りでも多くの蟻が蟻であることにうんざりし、キリギリスに憬れた。

日本で馴染み深いイソップ寓話は、フランスではラ・フォンテーヌの寓話として知られている。紀元前6世紀にギリシャ人のアイソーポス(イソップ)によって作られた(集められた)とされるイソップ寓話はギリシャ語からラテン語、ラテン語から英語やフランス語に翻訳され広まった。日本で初めて紹介されたのは1593年、イエスズ会の宣教師によってらしい。フランスでは1668年、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌという詩人がイソップ寓話を基にした寓話詩を発表し、その為「アリとキリギリス」も「北風と太陽」も「キツネと鶴のご馳走」もラ・フォンテーヌの寓話として知られている。

私はこの「アリとキリギリス」について、フランスのカフェで驚きの発見をしたことがある。コーヒーに添えられた角砂糖の小さな包紙、表にはアリと虫の絵、裏にはストーリーが簡潔に書かれていた。まず驚いたのは、キリギリスがフランスではCigale/シガール(蝉)だったことだ。蝉の奏でが美しいとは思い難い私は違和感を感じたが、フランスでは蝉の声は南仏、夏、バカンスを連想させるようで、いい音色なのだそうだ。蝉=うるさいにはならないらしい。もっと吃驚は話の結末だった。私の知るイソップでは冬、飢えと寒さで助けを求めてやって来たキリギリスに蟻は食べ物と暖を与えてくれる。そこが蟻の優しさであり、器の大きさでもあるのだと解釈していたが、ラ・フォンテーヌでは違った。蟻は素っ気なく言う。「音楽を奏でて稼げば」「寒さと飢えでもう弾けない」と答えるボロボロのキリギリスに更に言い放つ。
「じゃあ今度はダンスをすれば!」
何故だか私は自分に言われたような気がして、思わず手にしていたクロワッサンを落としてしまった。

私は「蟻」である日本人で、ヨーロッパではそれを感じることも度々あったが、蟻世界に戻ると「キリギリス」なのである。フランスでのあの発見以来、「じゃあ今度はダンスをすれば!」が脳裏にこだましている。ダンスか・・・ふと思い出し、昔数か月で断念して直し込んだフラメンコの靴を引っ張り出した。ダンス用の靴だけあって、履き心地は抜群だ。普通の靴として利用できないものかとあれこれ工夫してみた。フムフム、これならリクルートスーツにでも履けそうだ。

キリギリスにはキリギリスの言い分があるが、特に厳しい冬の今は何を言っても負惜しみにしかならない。黙って冬を乗り越えるべし。だが季節の冬は待つだけで春が必ずやって来るが、人生においては自ら春に近づいて行かない限り冬は永遠と続く。これはイソップにもラ・フォンテーヌにもない、経験から得た教訓だ。おまけに働き者の蟻ですらバッサリ切られるこのご時勢、蟻もキリギリスもあったものではないのかもしれない。いったいどんな人間が生き延びていけるのか?答えを見つけるにはまだまだ時間がかかりそうである。